第7回目 学問・芸術・教育                   1997.10.21

 東京に生まれ、学び、音楽家として35年間暮らしました。後半の人生は、東京を離れ、大学に就職し、演奏に加えて、学問研究と教育に携わって来ました。大学人となり、研究することや論文を書くということを初めて本格的に学んだ時の感動は、今もあざやかです。自分の考えを主観的に主張するのではなく、まず、過去に同じ様な考えや実践があったかどうかを調べ、自分の主張との違いや共通点を明らかにし、その上で、自分のオリジナル性を提起するというものの考え方は、それまでの自分の人生にはありませんでした。学問のこの考え方は、私の生き方を根本からくつがえしました。大学に勤めることによって私が得た一番大きいことが、このことでした。

 ハンガリーには、11年前に留学しました。ハンガリーはまだ社会主義の体制で、国は貧しく、生活は質素でした。しかし、人々は、お金はなくとも、人生や家族を大切に暮らしていました。学問や芸術や教育は、暮らしの中にがしっかりと根付いていました。私は、国全体に香る精神的な豊かさに心が洗われるような気持ちがしたのです。また、ハンガリーの音楽の世界では、学問・演奏・教育の3つが有機的に関連しあって、美しい音楽を生み出していました。ハンガリーでは、教育もまた、芸術であり得るのであり、カタルシス(精神の浄化)の作用をもたらさねばならないと考えられています。幼児音楽教育の世界的な大家フォライは、60人を越える外国の見学者を前に、十数人の4・5歳児に、深いカタルシスを生みだし、私は衝撃をさえ覚えたのです。ハンガリーの音楽家は、多かれ少なかれ、自身の中に学問・演奏・教育の3つを統一して持っています。日本の音楽界では、学問・演奏・教育がバラバラに存在しているように思われます。演奏家が、義務教育に関心を持つことは少なく、大学の研究が、公教育に生かされることはあまりありません。

 日本では、今日では、学問・芸術・教育という言葉は、一般の人々にとって無縁な、カビのはえてしまった言葉であるかのように思われます。学校教育を歪めている入試制度が、真の学問・芸術・教育とは、無縁な存在であることは、日本の悲劇だと思います。学問も芸術も教育も、人間が真に幸せに生きるために存在するもので、全ての人々のものなのです。全ての人々にとって、この3つが生きる基本である社会を夢見ることは夢想でしょうか。教育の再生は、ここにかかっているように、私には思われます。

 11月8と9日、宮城教育大学で東洋音楽学会の大会が行われます。仙台近郊の神楽や、学生たちの民舞、ガムランの公開公演もあります。大学の中で、学問の世界で、どのようなことが行われているか、市民の皆さんに知っていただくよい機会です。秋の青葉山のキャンパスにどうぞ足をお伸ばし下さい。

第8回 未来を語る                     1997.10.28

 11年前にハンガリーに留学した際、私は2回お財布をなくしました。1回目は市電の中で、鞄のチャックを閉め忘れ、お財布が覗いていたのにも気づかず、ぼんやり街を眺めていて盗まれました。2回目は、ハンガリーの海と呼ばれるバラトン湖のほとりで落とました。吃驚したのは、2回とも現金以外のものは、私の手元に戻ってきたことです。1回目は、所属していたリスト音楽アカデミーの受付けに、現金以外もの、学生証などが届けられました。2回目は、ある日分厚い差出人ナシの封筒が届き、その中に現金以外のものが入っていました。

 強固なソ連の支配下にあったハンガリーには自由がなく、人々は自由を求め、自由な祖国建設を熱く夢見ていました。若い人も年とった人も、日本についての話や、自由についての話をむさぼるように聞き、自由のある国家建設の夢を熱く語ったものでした。60年代は遠くに去り、人々が未来への夢を語らなくなった日本から出かけていった私は、そのことにとてもショックを受けたのです。

 ルーマニアの故チャウチェスク政権崩壊の直前には、ルーマニア領内のハンガリー人弾圧に対する抗議集会に参加したこともありました。ローソクの火を手にした人々の、静かな中に溢れるような激しい怒りに接して、日本人には理解しにくい民族対立の深さを肌で感じたものでした。1989年、中世の街並みを残す美しい街、ショプロンの国境から、当時の東ドイツの人々がオーストリアに亡命することに成功した事件をきっかけにしてベルリンの壁は破られ、ソ連の体制は崩壊しました。1990年、ハンガリーの人々は帝政オーストリアからの短い独立を記念する3月15日を、初めて国家の記念日として祝うことが出来ました。その時のお祭り騒ぎのような喜びの大きさ。共和国としての最初の自由選挙の白熱。この間、私は、ハンガリーの国の移り変わりと人々の暮らしの移り変わりを、まるでわが身のことのように見つめてきました。

 基本的な生活物資が安く押さえられ、病院や学校の月謝などが無料で弱者にやさしかった、かつてのハンガリーは、大きく変わりました。自由を得たかわりに、かつて無料だったものは全て有料となり、生活物資などが20倍からそれ以上ものインフレとなって、弱者は生きていくことが出来ないかのようです。今ではもう、人々は未来を語ることはなく、学問や芸術や教育を大切にすることも出来なくなりました。今、ハンガリーを支配するものはお金です。ことし、私は混んだバスの中で、しっかりとチャックを閉めた鞄の中なら、お財布とビデオを盗まれました。それらは、戻ってくることはありません。       

 全ての民族が飢えや戦争の危機から解放され、豊かに暮らすことが出来るだけの機械技術の発展をみた20世紀末、全ての人類の幸せという夢から、かえって遠ざかってしまったように見えるのは、どうしてなのでしょうか? 今一度、地球の美しい未来を、人類の夢を共に考えあいたいと、私は思うのです。

河北新報 1997.12.24 家庭欄

オランダのクリスマス