随想について

 1997年9月から10月まで、宮城県の河北新報の夕刊「随想」欄に、随筆を執筆いたしました。新聞への随筆執筆は、1978年、鹿児島の南日本新聞の「思うこと」への執筆以来です。字数が限られている中で、毎週何か中身のあることを書き続けることは、とても勉強になります。20年ぶりでもあり、書きたいことがたまっていたので、今回は、書きたいことを探すことに苦労するのではなく、削るのに苦労しました。もう1回クルターグのことについて書きたかったと思っています。1987年にハンガリーに留学してから、仕事が国際的な視野を持つようになりました。この間の仕事の中で感じた、アジア、日本、ヨーロッパの考え方や暮らし、そしてそれぞれの文化について、折々に感じたことを綴ってみました。反響があったことを嬉しく思っています。最後に、同年12月24日の家庭欄に執筆した、オランダのクリスマスを加えます。

 

第1回 アジア人としての私                    1997.9.2

            

 去る8月17日から22日まで、マニラのフィリピン文化センターで、フィリピンでは初めてという国際的な音楽教育のシンポジウム(第13回 国際コダーイ・シンポジウム)が開かれ、「福島コダーイ合唱団」を率いて、演奏会とワークショップを行って参りました。アジアでの演奏会は、初めての体験です。

 政治的にも、経済的にも日本より多くの困難を抱えているフィリピン。しかし、マニラで私は、フィリピンの人々の優しさに触れ、心が震える思いがしたのです。それは、日本人がいつしか失ってしまった優しさでありました。また、南国の樹々が茂り、道路は車で大渋滞し、沢山の人々でごったがえすマニラの街角に立って、思いがけずも、何とも言えないなつかしい、心なごむ気持ちでいっぱいになりました。実は、私は、ハンガリーを第2の故郷と思い、毎年ヨーロッパで研修を重ね、演奏旅行も何度か体験しているのですが、これはヨーロッパでは感じたことのない、まさに私はアジア人なのだという深い感慨でありました。

 一方、初めてマニラを訪れたヨーロッパの先生方は、混沌としたこのアジアの街と街の臭いに強い違和感をもたれ、激しいショックを受けられたのです。

 滞在中に、雨季に入ったマニラの街を熱帯性低気圧が襲い、道路には濁流が溢れ、ホテルのロビーにも泥水が浸水して来ました。しかし、ホテルには、「浸水防止グッズ」等も常備され、マニラの人々は慌てることがありません。合唱団員は、動かぬバスに見切りを付け、ズボンなどをたくし上げ、川のようになった道路を歩いてワークショップの衣装を取りに急ぎました。死者も出たというこの災害の中で、新聞には、市役所前の水たまりをプールに見立てて楽しむ人々の写真が報道されました。何という楽天的なたくましさでしょう。

 ヨーロッパの町並みには、歴史と文化が香ります。近代的なビルディングが立ち並ぶマニラの街角には、スラムがあり、貧しい人々が必死に立ち働いています。近くて遠い国フィリピン。

 この地で、フィリピンや世界の音楽教育家の方々に、私達の音楽を深い感動をもって受けとめて頂けたことは、本当に嬉しいことでありました。この連載では、アジア、日本、ヨーロッパの考え方や暮らし、そしてそれぞれの文化について、折々に感じたことを綴って参りたいと存知ます。

2回 異文化との出逢い                      1997.9.9

 私の異文化との本当の意味での出逢いは、23歳の時の沖縄フィールワークでした。到着した夜、沖縄の方々は、私を歓迎する歌を即興的に作って歌って下さったのでした。海に沈む大きな太陽を見ながら聴いたその歌声が今も耳に残っています。つらいとき、嬉しいとき、悲しいとき、歌や踊りはいつも沖縄の人々と共にあります。「歌や踊りは、人間の心のことばなんだ」。私は沖縄で、自分の歌や踊りをもった人々に出逢って、大きな衝撃を覚えたのです。

 クラシック音楽だけを勉強してきた私には、それまで、ピアノ以外の音楽が心の中に本当に響くということはなかったのです。ピアニストとして仕事をしていた私に、自分の歌や踊りといえるものはありませんでした。沖縄のフィールドワークは、自分を見つめる旅となり、これを契機にして、私の音楽は、西洋音楽から日本の伝統音楽、そして世界の民族音楽へと拡がっていきました。

 今、宮城教育大学で、非常勤の先生のお力をお借りして、バリ・ガムランの授業を行っています。関東以北では、初めてのことだと思います。青銅のオーケストラと呼ばれるバリ・ガムランの授業は、長い間の私の夢でした。文部省の科学研究費の補助金を得て、昨年10月、ついにガムラン・ゴング・クビヤルのフルセットが購入できました。ガムランの楽器は、2つで1組です。2つの楽器は、ほんの少し音程をくるわせて調律してあって、同時に叩くと、うなりが生じます。ガムランが鳴り響くとき、身体がこのうなりの揺りかごの中で癒されるような感じがします。この感覚は西洋音楽では、決して感じることのできない快感です。

 今日、国際化の時代にあって、身の周りには世界の情報が溢れ、私たちは、世界の人々やその文化に接しています。しかし、世界の人々の心やその文化を本当に理解することは、実は、それ程容易くはありません。それぞれの民族は、当然のことながら、自然環境や言語、政治や経済、宗教や歴史、暮らしや文化など、皆、異なっています。これらの違いによる溝は大きく、20世紀末の今日、多くの地域で、民族紛争が続いています。間もなく、21世紀を迎える今、私たちが努めるべきことは、世界の人々との相互理解でありましょう。

 ガムランの音は実に魅惑的で、明治以来、西洋文化を中心的に学習してきた日本人が、他の異なった価値観をもつ文化理解へと目覚めていく、大きなきっかけとなる音楽だと思います。文化理解は、民族理解の基盤と言えましょう。15日、市民会館で、バリ島タガスのグヌンジャティ歌舞団の演奏会があります。仙台にめくるめくようなガムランの音が響きます。

 

3回 ヨーロッパの考え方、アジアの考え方            1997.9.16

 昨年、7月21日から27日まで、アムステルダムで「第22回国際音楽教育協会」の大会があり、「福島コダーイ合唱団」はミュージシャンとして参加し、3回の演奏会とワークショップなどを行いました。「福島コダーイ合唱団」は、主に福島の教員からなる合唱団で、日本の民俗音楽、中世のヨーロッパのア・カペラ合唱、ハンガリーの現代合唱曲をなどをレパートリにしています。

 私達は、予定されたコンサートの1つ、野外コンサートの会場、マックスユーウェ広場に下見に出かけました。夏のヨーロッパは湿気がなく、本当にさわやかです。あまりに気持ちが良くて、私達は、そこでそのままミニコンサートを行ったのです。驚いたことに、広場にいた人々は、突然行われたこのコンサートに聴き入り、涙などされるのでした。それは、日本のコンサートでは、これまで体験したことのない深い受けとめ方でありました。そして、このミニコンサートを偶然聴かれた、作曲家でシンガーのクレメントさんのテレビ番組に、出演までしてしまったのです。

 アムステルダムでは、コンサートの度毎に、聴衆のこの様な音楽を聴く力の深さに驚かされ、またそのことに力づけられる思いがしたものです。これがヨーロッパの音楽文化を支えてきた教養とでもいうものでありましょう。アムステルダムで受けた熱いスタンディングは、忘れられない思い出です。一方、主催者の会議の進行や、コンサート会場への送迎といった事務的なことでは、不都合があっても決して「ごめんなさい」と言うことなく、決めたこと一点張りの杓子定規なやり方なのでした。

 今年のマニラの国際シンポジウムでは、聴衆の反応がヨーロッパと違ってとても静かで驚かされました。しかし、深く心に沈めているといった温かな優しさが1曲毎に返ってくるのでした。一方、会議では、研究発表に必要なビデオ機材が、発表時間になっても届かず、今こちらに向かっていますといった鷹揚さ、決められ時間が、1時間近くも延びてしまうのどかさです。でも、誰もそうしたことを気に止めず、悠々と楽しんでいます。そして、結果的には余り効果がないのだけれど、「ごめんなさい」を連発しながら、少しでもよかれと沢山の気遣いをしてくださる。

 「第22回国際音楽教育協会」の大会テーマは、「普遍的な言語としての音楽」、「第13回国際コダーイ・シンポジウム」の大会テーマは「音楽を通した西洋と東洋の出逢い」でした。昨年と今年、続けて2つの国際音楽教育会議に参加して、演奏者として体験したヨーロッパとアジアの感じ方や考え方の違いは、とても印象的でありました。