私の住んだ街々、そして文化 ―その1―

降矢美彌子

  私は、仕事とともに東京、鹿児島、福島、仙台と各地で過ごした。私の青春時代は60年安保後で、東京は、ある意味で混とんとした<創造>や<模索>の時代、権威を振りかざすことが少なく、格差の流動した時代だった。安保闘争では、音楽家も初めて、国会までデモをしたと言う。わらべうたを子どもたちにという運動も初めて起こった。ヨーロッパでは、19世紀終わりから、20世紀に起こった自国の伝統に基づいた文化創造をという熱気が、東京にも溢れた。その時代に、大学を卒業して、チェリストの井上頼豊さん、民族音楽学者の小泉文夫さん、新内節の岡本文弥さん、筝曲や三絃で新しい日本音楽を創造した平井澄子さん、大衆音楽の評論家中村とうようさん、芸能山城組の山城祥二さんなどの素晴らしい方々に、まるで対等であるかのように扱っていただいて、西洋音楽、日本の伝統・古典音楽から最も新しいわくわくするような創造的な挑戦を、身体全体に染み込ませた。それが今の私を創ったと感慨深く思う。

 東京と鹿児島はとても違っていた。鹿児島の太陽はまるで、人間に挑むかのように強く、人々は甲高い声で元気いっぱいに話した。驚いたことに、鹿児島は大きく胸を拡げて私を待っていた。東京で最も新しい文化的な挑戦を身体いっぱいに詰め込んだ私を120%受け止め、生かしてくださった。忘れることができないのは、ピアニストだった私に、赴任した4月の始めに、南日本ピアノ・コンクールの審査員を依頼され、私は、バルトークの『ミクロコスモス』が課題曲に入っていないのは、現代の今、よくないと申し上げ、小学生などから一般まで全てのカテゴリーで『ミクロコスモス』から課題曲が取り上げられたことだった。当時の鹿児島では、楽器店の全てが『ミクロコスモス』をおいていなかった。九州最大の都市、博多の楽器店でも『ミクロコスモス』は、1冊も扱っていなかったと聞いた。コンクールは1000人単位で受けた。大騒動だったと思う。誰も私を責める人はいなかった。鹿児島では、「ポストの数ほど生のコンサートを!」と言うスローガンを掲げて、喫茶店などでミニ・コンサートを開いていた。音楽家は、人々の傍で生の音楽を届けなくてはと私は考えていた。鹿児島は、初めて朝鮮半島から陶器の技術の入った地。私は、たくさんの陶工のお家を訪ねた。

 そして、福島。鹿児島から中古のトラックを買い、グランド・ピアノから車、味噌ガメまで乗せて、1週間の温泉旅行をしながら、1歳の息子を1日1回は公園で遊ばせて、福島にやってきた。ちょうど桜前線を追う形となった。福島は、太陽が眠っている。鹿児島から来た私には、そう思える程、陽光は穏やかだった。人々も口を開けず話した。暖かく、しかし芯が強かった。そんなに簡単には外部の人間は入り込めない。私は、学生たちと「創造集団『輪』」を立ち上げて、福島には決して来ない最も伝統的、或は、最も挑戦的、或は諸外国の音楽会を開き続けた。学生たちが本物に出会うことが本当に大切だと考えたからだ。福島には、音楽会もほとんど来ない。東京の1日分の音楽会は、福島の10年分と思えるくらいだった。本当にメジャーなあたり障りのないものしか来なかった。文化の格差は大きい。
 震災、放射能事故の厳しい試練を受けて、人々はますます心を閉ざして用心深くなったかのように見える。福島には、10基の原発がある。それは、数年毎に飢饉が襲い、毎年飢饉に襲われる村さえあって、とても貧しかったからだ。「原子力明るい未来のエネルギー」という標語の元、毎年出稼ぎに行かずにすむということが「原発銀座」の原発10基を生んだ。 

 私が仙台に移ったのは、福島の大学では、教室が限られて、楽器群の収納ができないため、インドネシア・バリ島のガムランを授業で教えることができなかったからだった。ガムランは、青銅のオーケストラを呼ばれる打楽器のアンサンブルで、青銅でできたたくさんの<鉄琴>のような楽器で演奏する。仙台の大学では、日本学術振興会の助成を得て、ガムラン楽器も購入できて、ガムランの授業を始めた。私は、未来の日本を担う子どもたちのために教員養成をとても大切に考えていて、教員になる学生に西洋音楽だけでなく日本の伝統音楽やガムランなどの諸外国の音楽を学んで欲しいと心の底から考えていたのだ。当時、東京へ行くとガムランの演奏会に小学生が引率されていたりしたが、東北には来なかった。私は、福島で最初のガムランの演奏会を学生たちと「創造集団『輪』」の活動として開いた。仙台の学生たちはガムランに夢中になった。今では、仙台に小さなガムラン・アンサンブルや、バリ舞踊の先生も生まれた。私の住んだいろいろの街に仕事と合わせて、たくさんの思い出がある。
次回は、ハンガリー留学から、主宰する福島コダーイ合唱団、私のライフワークについて書いてみたい。      
(宮城教育大学名誉教授 福島コダーイ合唱団音楽監督)