「最後の楽園」と言われたバリ島―その1


 バリ島は、インドネシア領の一つの島。米作を生業とするバリ島では、午前中、農業をすると、人々は、午後は、絵を描いたり、木彫をしたり、ガムランなどの音楽をしたりして過ごすと言われていた。日本では、仕事も学問も芸術も何もかも本当に分業化されてしまって、人々はだんだん孤独になっていくように感じられていた。だから、芸術家も分業することなく、全ての人が、農業も芸術もやっているというバリ島に強く魅かれた。

 本土はイスラム教だが、バリ島は、バリ・ヒンドウー教と言われる多神教を信じる人が多い島だ。バリの芸能は、自己表現ではなく、神への捧げものとして演じられる。

 実は、バリ島は、時代時代によって様々な文化の影響を受け、19世紀には、オランダに支配された歴史を持つ。伝統的な芸能と思われている芸能も、1930年代、ドイツ人の画家で音楽家であったヴァルター・シュピースなどのヨーロッパの知識人の力を得て、「バリ・ルネッサンス」の時代を迎え、現在の観光の目玉であるガムランなどの音楽、レゴン、ケチャ等などの舞踊、そして絵画の様式などが確立したのだった。「最後の楽園」という言葉も、この時代に使われるようになった。

 31歳の時に初めてバリ島を訪れた。以来何回か芸能の勉強に通った。行きの飛行機の中で初めて日本を訪れた少女と席が隣になった。彼女は、日本でどんなに素晴らしいことがあったかをずっと話し続けた。その間、私は、ただ「イエース」繰り返すばかり。帰りの飛行機で、私はドイツ人の医者と席が隣り合わせになり、今度は私が、バリ島でどんなことがあったかをしゃべり続けたのだった。別れる時にドイツ人は、日本人は内気で自分から話さないと聞いていたと、語り続ける私に大層驚いたと語った。この時私は、外国語の学習が苦手とされる日本人だけれど、それは、話したいことをもつということから始めたら、どんどん話せるようになるのだなと思い至ったのだった。

 さて、話をバリ島の音楽に戻す。バリの人たちは、二元論だ。昼と夜があって1日。女性と男性で人間というように。音楽も二元論。日本とヨーロッパの間にあって、アジア的な面とヨーロッパ的な面を持ち、更に二元論だから、バリ島の音楽は、日本人が最初に学ぶ異文化に最も適していると私は思う。ケチャのリズムもガムランのメロディーもバリ人は、決して一つずつ切り離して分かり易く教えるということをしないのだ。(続く)