3.11東日本大震災 福島レポート

降矢美彌子(ピアニスト、合唱指揮者)
        
 福島市には、桃源郷と呼ばれる花の里、花見山があります。桜、桃、レンギョウ、椿などの花の咲き競う福島の春は本当に美しいのです。この春を今、福島では楽しむことができません。震災後、テレビ、新聞、雑誌、ラジオ等から山のように情報が溢れています。その中で実感することは、まるでコンビニの陳列棚ように「情報の全てが並列に陳列されている。言葉の重みがない。」という事実です。このことは人々に事象を深く受け止める力を失わせてきた社会の方向性の象徴のように思われます。つまり、人間が哲学や理念を失い、自我と欲望のまま他者との関係性を失った社会、うわべの嘘で装う社会です。本当は、今こそ、一人一人の人間を尊ぶ社会のあり方への復興の期と思えるのです。
 
 まず、最初にこの間のマスコミ等の報道について感じたことを書きます。3.11大震災以来、莫大な量が傍若無人に流され続けていた日本のTVから、コマーシャルが消えました。でも、コマーシャルが消えたのではなく、日本広告機構による「こんにちは..」というアニメと「思いは伝わらないけれど、思いやりは伝わる..」という2本のコマーシャルが、今日まで何万回も繰り返されています。途中から「日本は、強い国..」「あなたはどんな時でも一人じゃない..」「皆で頑張ろう..」などというコマーシャルも加わりました。

 日本人は、元来、言葉を大切に吟味する民族でした。短歌や俳句がよい例です。大切なことは何度も繰り返して言わなかったのです。三陸ではまだライフラインが復旧せず、TVが見られない地域がありますし、避難所では多くの場合、それほど熱心にTVが視聴されているわけではありませんが、1ヶ月余にわたってこの繰り返される全く同じコマーシャルは、辛いお気持ちでおられる方々への「言葉の暴力」にはならないか、言葉の大切さを奪っているのではないかと私には思われます。

 さて、1000年に1度と言われる今回の大災害の中身について、区別して考えられなくてはならないのに、並列化されて考えられていると思えてなりません。地震や津波の大災害は、スマトラ沖やチリなどで起こっています。3県を襲ったこの自然災害の凄まじさはまさに恐るべき自然災害です。 しかし、これらの自然災害によってもたらされた福島の浜通りにある第一原子力発電所の4機の原発の大事故は、現在進行中であり、人類歴史上類例を見ない人災です。
東京電力は、「福島第一原子力発電所・事故の収束に向けた道筋」を提示しましたが、この道筋が、高放射能に汚染された現場で取り進めることができるのかどうか疑念がもたれており、4機の原発の大事故は、放射能を含んだ汚水を海に放出し、今も大気中に放射能を放出し、世界中に放射能をばら撒き続けていることを認識せねばなりますまい。チェルノブイリの原子力発電所事故と同じ7レベルという大事故は、現状について言ったもので、将来どうなるか、誰も何も確かなことは言えない情況です。4機の原発の大事故は、チェルノブイリ事故から25年を経ても、人類は暴発する原発を収束する力を獲得できていないという事実を証明しています。最新技術革新国日本が、事故後1ヶ月余の歳月を経ても確かな収束の見通しをもてないのです。原発は、人類が制御不可能な怪物であったのだと多くの人が気付いたのが、今回の大事故だと言えましょう。この危機に、例えば、ノーベル賞の受賞者や科学者が、大きな声を上げてくださらないのが、もどかしくてなりません。

 TVや新聞では情報は、記者や編集者の「配慮」や「感情」から意図的であれ、意図的ではないにせよ、情報は操作されていること、そのことによって「国民感情」が一定方向に形成され、圧倒的な「権力」をもってしまうこと、このことにも敏感になりたいものです。国策として原発を進め、国際競争を戦っていた日本は、今回の原発の大事故の収束は、極めて困難で現在進行形であり、危険な稼働中の原発を各地にもっていることが指摘されていても、日本を脱原発の方向には向かさないのだという力を感じてしまうのは、私だけでしょうか。

 さて、福島の災害について知るためには、福島の地形を知る必要があります。福島県は、北海道、岩手県につぐ三番目に大きな面積をもっていて、太平洋と阿武隈高地とにはさまれた「浜通り」、阿武隈高地と奥羽山脈とにはさまれた「中通り」と、日本海側の「会津」の3地域に分けられ、それぞれの気候・風土・歴史・人々の気風は異なっています。原発銀座と言われる東京電力の第一、第二原子力発電所10機の原発を抱える地区は、浜通りです。簡単に申すことは危険ですが、被害で言えば、浜通り、ここには原発があり、海岸線から国道6号線まで10kmぐらいまで家々が壊滅する津波被害と原発被害、風評被害を受けました。中通は、地震と放射能被害と風評被害、避難民を多く受け入れている会津は、地形から言ってそのどれもが他の2つほど大きくはありませんが、風評被害によって観光業が大きなダメージを受けています。

 今回の東日本大震災は被災地域の広さ、災害の壮絶さ、死者・行方不明者数2万数千余名という類例を見ないもので、その復興にどれだけ多くの時間と費用がかかるか予測さえ立ちません。その上で、福島県の宮城県、岩手県の災害と決定的な違いは、2つの県と同じく地震・津波による大きな自然災害を受けた上に、原発事故、放射能という前代未聞の事故が加わった点にあります。原発の本当の終息には、数十年単位の歳月が求められるでしょう。

 福島県では毎日各地で放射能値を何度か測定して、TVやホームページで報告しています。放射能は、福島県の場合、地形が複雑ですから、半径何mという直線距離の通りには飛んでいきません。原発から30km範囲を超えた飯館村や山木屋では、地形と風向きからこれまでの累積放射能値が基準値をはるかに超えるため、全村計画避難区域となり、1ヶ月以内の避難が義務付けられました。ここは静かな自然の恵みに恵まれた山村です。葉タバコ、米作、畜産が主な産業です。飯館村の皆さんは、ある日突然、故郷、生業、生活の全てを捨てろと告げられたのです。家族のように育てた牛、豚などの家畜を捨ててはいかれないと村民は重い口を開きます。浜通りの危険区域だった浪江から避難された畜産家の方が、「こっそり2回牛に餌をやりに行ったんだ。2回目は全部餓死してた。でも母牛は出産してから死んでいて、1匹の子牛は生きてた。でももういかれね。就職もできねし、どうやって生きて行ったらいいか。」その重い言葉に政府は応えねばなりますまい。「今年の作付けは諦めざるをえない。けれど来年できるかどうかわからない。収入の全てを失われて一体どうしてよいかわからない。」葉タバコ農家は暗い見通しにうつむきます。この放射能のために、福島の農業、畜産業、乳業、漁業が決定的なダメージを受けました。初めてほうれん草などの野菜の出荷制限が告げられた際、長年、無農薬有機農業に熱心に取り組んで来られた農家の方が、自殺するという痛ましい報道がありました。これは今の福島の痛み、苦しみの象徴する出来事だったと言えましょう。

 原発の安全神話を信じた浜通りの人々。「こんなことになるなんて。」言葉を失っています。事故を起した原発は今年で40年目になります。読売新聞には、このような記事が載っています。「電源喪失で容器破損」東電報告書検討せず。東京電力福島第一原子力発電所2、3号機で使われている型の原発は、電源が全て失われて原子炉を冷却できない状態が約3時間半続くと、原子炉圧力容器が破損するという研究報告を、原子力安全基盤機構が昨年10月にまとめていたことがわかった。(読売新聞)

 さて、多くのTVや新聞等で被災者からの言葉を放映しています。東北の人は、辛抱強く、口が重く、我慢強いのです。マイクを向けられると、被災者は、必ず「有難うございます。頑張ります。」とおっしゃいます。それしか言えないのです。でも時々、マイクがそのまま向けられ続けている時、本音が聞こえます。「3度3度ご飯がいただけて有難いです。感謝です。」そして「本当は、仕事をして、家族で食事をして、ぐっすり眠りたいの。あーそんなこと言うと、涙が出てきちゃう。」そして、こっそり涙を拭われるのです。避難所では泣くのも自由ではなく感じられるのでしょう。「こんなところで生活することがどういうことか、やってみたらいい。」避難所での生活は、皆さんが当たり前に営んでいた日常とあまりにも違うという意味で「悲惨」です(運営の方々のご苦労は十分理解しています)。私には、そう感じられます。避難所に伺うとき、お一人お一人のこれまでの人生を思い、これからの見通しのなさを思い、申し訳なく胸いたく重く帰ります。

 避難所の唯のお一人もご自分が避難所で生活をするなどと考えたこともなく、お仕事をして、家族で食事をして、悩みや苦しみも抱えながらも、日常を過ごしておられた方々が、ある日突然、言葉は悪いのですが、まるで「捕虜」になったかとでもいうように、どこへ連れられるか、予定も場所も告げられずに、何度も何度も避難所を移動させられ続けておられる。3度3度、ご自分が召し上がりたいものを召し上がっているわけではなく、あてがわれ、食器もなく、毛布の上にうずくまって、紙やプラスティックの容器で、冷たいものを配給される。
時々、暖かい炊き出しはあるけれど、有難いけれど、皆さん、ご自宅に帰りたい、仕事をしたい、昔に戻りたい、普通に生活したいと痛切に思っておられる。衣服も、下着も、差し入れはたくさんあります。有難いのです。本当に。でも、そうやって物をもらって有難うございますと言いながら、生きていきたくはないのです。人は額に汗して働き、自分のお金で、自分の欲しいものを買って、自由に食べたり、着たり、寝たり、趣味にもはまりながら、生活したいのです。仕事が欲しいのです。日常を取り戻したいのです。でも原発の事故が収束しない限り、福島では、故郷に帰ることも、日常を取り戻すことも、復興もないのです。避難所自体の格差も広がっています。

 
 避難所で将来の見通しもなく長期に仕事もなく生きねばならない福島県の被災者のこのお気持ちを国民の一人ひとりに共有していただきたいと痛切に願います。そして、長期にわたるからこそ、被災者への人間性ある生活への支援、見通しを早急に出していただかねばならないと思うのです。義捐金が、1ヶ月余も手に渡らないことも着の身着のまま避難された方々にとって、どれほど辛いことだったことでしょう。被災3県の知事さんは、それぞれ全く違った意見をお持ちで、被災地でありながら、復興構想はばらばらです。今もって3県の行方不明者は1万人を越えています。福島の浜通りでは、餓死している家畜、飢えてさまよっている家畜の処分が今日から始まりました。むごいことです。

 被災地で苦しむ方は皆大変ですが、弱者、つまり高齢者、ご病気の方、障害をお持ちの方、子ども達、ご妊娠中の方などがもろに矛盾をかぶります。各地で驚異的に頑張っておられる医療関係、介護関係者、地方公務員、自衛隊、ヴォランティアなどの方々に頭をたれます。あの高い放射能値の原発の現場で頑張ってくださっている労働者の方々、1ヶ月余を過ぎて、行方不明者の捜索にあたってくださっている自衛隊の方々のご苦労を思います。

 原発警戒区域、計画避難区域の子ども達は、そこを外れた学校へと学校ごと、移動しています。ある学校では6校合同です。簡単に6校合同と言っても、校舎は狭く、仮設トイレさえ少なく、その教育現場の困難は、計り知れません。福島県では6千人余の子どもが他県に避難し、児童数が減少したために、今年度は小中学校の教員採用試験をしないと決定しました。先生になるために頑張ってきた学生さんや様々の方々の打撃を思うと胸がつぶれます。来年度はどうかという見通しは、原発が収束しない限りないのです。また、福島県では、8月に教諭の人事異動です。ただでさえ多くの被害を受け不安定な子ども達を思うと、どうしてそのような人事が行なわれるのか理解に苦しみます。一方東京などへご両親と離れて避難した子ども達を迎える体制にも、教員数が限られている中での突然のことですから、無理も多いと思われます。大変な事態なのです。県庁や災害対策本部のある福島市も放射能累積値の高い地区です。全てではありませんが、保育園・幼稚園、小中学校では、校庭や園庭で遊ぶことができません。


自宅に隣接する
福島市公園除染第一例
 風評被害をなくしていくこと、被災地の情報を多く収集して実態を共有してくださること、例えば、お手紙一つでも、カンパの少しでもそれにお心を乗せて長期にわたって、復興のために頑張ってくださっている方々、被災者の皆さんに送り続けてくださることを心からお願いしたいと思います。そして、東電や政府など関係各所に是非要望などの葉書運動をお願いしたいと思います。

  最後に、東日本大震災で命を落とされた全ての方々に心の底からのご冥福をお祈り申し上げます。