新ピアノの学校解説
降矢美彌子
  本書の著者テーケ・マリアンヌ女史の最も大きな業績は、今日のハンガリーのピアノ教育のカリキュラムを作成したことと、今世紀後半最も注目されるピアノ小品集、ハンガリーの作曲家クルターグ・ジェルジュの「ピアノのための遊び」の教育的な共働者としてこの小品集の誕生に貢献したことが挙げられましょう。
ファントネー・カッシャイ・マーリア、ヘルナーディ・ラヨシュネーらによって編纂された「ピアノの学校」から約半世紀を経て、テーケ女史は、ピアノ教育にかけた生涯の集大成として、1991年7月、5分冊からなるピアノの入門書を完成させ、1993年ハンガリーで出版しました。それらは、「ピアノのとの出あい」(1回
から10回のピアノとの出あいー10回のレッスンとその教材となるピアノ小品集)「ミュージック・バック」(ピアノ学習入門のためのソルフェージュ教材とピアノの基礎テクニック練習集)、16世紀から現代にいたるピアノ小品集と連弾集「ピアノ、私の友だち」「友だちと」、「ピアノとの出あい教師用手引書」の5冊です。これらは、50年前の「ピアノの学校」から飛躍的に発展した総合的なピアノ学習の入門書で、ハンガリーを代表する作曲家クルターグ・ジエルジュ、作曲家でリスト音楽アカデミーの学長ショプロニ・ヨージェフ、著名なピアニスト、ラーンキ・デジエーの各氏によって新らしいピアノの学校と呼ばれ、高い評価を受けて
います。
  ファントネー・カッシャイ・マーリア、ヘルナーディ・ラヨシュネーらによって編纂された「ピアノの学校」は、ハンガリーの子どもを対象に、ハンガリーの音楽伝統をもとにつくられているという限界をもちながらも、1969年加勢るり子氏によって日本語版が出版され、日本のピアノ教育に大きく貢献してきました。
その後の50年のハンガリーのピアノ教育の成果をふまえて、テーケー女史によって編纂されたこの「新ピアノの学校」は、次のような特徴をもっています。
  第1に、ピアノ教材に加えて、ピアノ学習の必要なソルフェージュ、ソロと連弾用ピアノ小品集、具体的なレッスンのガイドラインと教師用手引き書からなる総合的な内容であること、第2に、1回から第10回の出あいー10回のレッスンとその教師用手引き書がセットの形で出版されたことにより、ハンガリーのピアノ教育の理念が具現化され、よりわかりやすい形で、日本のピアノ教育に新たな展望を与える内容となったこと、第3に、取り扱う音楽が、16世紀から現代音楽へと飛躍的に広げられ、また芸術的により優れた内容となったこと、第4に、開始から現代音楽やその手法や奏法、特にクルターグ・ジェルジュの「ピアノのための遊び」の理念が応用され、今日の音楽が重視されていること、第5に、ハンガリーを代表する作曲家クルターグが、本書のためにソロ用と連弾用に沢山の作品を作曲したことなどがあげられます。その意味で、テーケ・マリアンヌ「新ピアノの学校」は、ピアノ教育の21世紀の扉を開くものといえましょう。
  日本版は出版社の意向で、原著のように5分冊ではなく、「テーケ・マリアンヌ新ピアノの学校ーピアノとの出合い」「テーケ・マリアンヌ新ピアノの学校ーミュージック・バック」「テーケ・マリアンヌー新ピアノの学校ーピアノ・私の友だち」、「テーケ・マリアンヌー新ピアノの学校ー友だちと」、そして「テー
ケ・マリアンヌー新ピアノの学校ーピアノとの出あいの教師用手引き書」の4分冊に分けて出版されます。テーケ女史は、「ピアノとの出あい」は、必ず「ピアノとの出あいの教師用手引書」を参考に使用することと明記していることを、つけ加えます。
  本書は、ハンガリーの子どもを対象に書かれました。日本とハンガリーでは、ピアノ教育の制度やソルフェージュ教育など大きく異なっています。
  ハンガリーの音楽教育は、作曲家・民族音楽学者・教育家であったKodaly
Zoltan(1882ー1967)の理念によって行われています。コダーイは、1.音楽教育の中心に歌うことをすえること、2.自国の音楽伝統ーわらべうたや民謡ーから音楽教育を始めること、3.ソルフェージュの重視することを提唱しました。ですから、ハンガリーでは、ソルフェージュ教育を重視し、すべての器楽教育の前に、準
備として1年間のソルフェージュの勉強が必修となっています。また、器楽教育が始まると、1週間に2回のソルフェージュの授業を受けることが必修で、子どもたちは歌うことを通して、音楽の読み書き、音楽の理解のための勉強をするのです。
  日本では、個人教授の場合、このようなシステムをとることは不可能ですが、機械的に本書の楽譜の音をピアノにに移すのではなく、可能な限り歌い、ソルフェージュの勉強を取り入れることが大切です。音名唱は、その後の発展を考えて、ドイツ音名で歌うことをお奨めします。
  ソルフェージュの教材となっている歌は、そのほとんどがハンガリーのわらべうたや民謡です。ハンガリーの子どもたちは、幼稚園でこれらの歌で、歌い遊び、リズムやメロディーについて遊びの中で無意識のうちに学んでいて、とてもよく知った歌です。旧「ピアノの学校」と同じように、これらの歌が、日本の子ども
たちには、全くなじみのない歌で、日本の音楽伝統にはのっとっていない歌であることが、本書を使用する場合の問題点といえましょう。従って、ピアノのレッスンに入る前に、一定の時間をとってこれらの教材のメロディーを覚え子どもたちにとって、少しでもなじみのある歌となってから、レッスンを開始するなど、先生方のご努力でこの点をクリアしていただきたいと思います。


 ハンガリーのソルフェージュの教育は、それまでの音楽教育の方法を集大成して、文字符、リズム唱、移動ドによる階名唱、ハンドサインなどを有機的に組み合わせて行います。また、練習には、内唱という方法も使います。次にそれらの方法を説明しましょう。

1)文字符
  文字符は、アルファベットの小文字で、階名を表します。オクターブの変更は、アルファベットの上下に ついた´印で表します。なお長音階の第7音が、t(ティ)となっているのは、第5音(s)の半音上がった音  を、si(シィ)と呼ぶためです。
  文字符 d -r- m- f- s- l- t- d
  読み方 ド- レ- ミ- ファ- ソ- ラ- ティ- ド
2)リズム唱は、リズムを唱えることで、リズムがわかると同時に、音符と結びついて認識されるので、リズム  を聴いたときにも、音符が認識できるようになります。 (図1)333の解説の図を借用すること

3)移動ドによる階名唱
  ハンガリーでは、基本的にまず移動ドによる階名唱で歌います。移動ドによる階名唱は、歌うことで音の  役割や機能がわかり、歌うことがそのままメロディーを分析していることになり、調号が変わっても、容  易く階名唱でき、後にいろいろな音部記号を読む時に容易く、楽器の移調を容易くする利点をもっていま  す。ハンガリーでは、初めはまず移動ドによるは階名唱で歌い、やがて階名と音名を統一的に理解して歌  えるようにします。
4)ハンド・サイン
  階名を手の形で表します。手の形は、ある程度、階名の機能を視覚的に表しますので、子どもたちの頭の  中でメロディーを思い浮かべる力(内唱の力)を養うと同時に、その形から階名の機能をも無意識的に感じ  させることができます。ハンド・サインは、機械的に音の高さを示すのではなく、メロディーの動きを音  楽的に表すように用います。ハンド・サインは、1音1音示すので、スコアのように音楽全体を見通すこと  はできませんが、
   1.音を出さないで、歌を覚えさせたり、聴音させる(単声・二声)こと、
   2.強弱、速度、曲想、フレーズなど曲想を表すこと、
   3.階名唱させながら、音楽を指揮すること、
   4.多声部の合唱を即興的に歌わせること、
   5.歌とハンド・サインを組み合わせて、一人で多声を聴くための練習をすること
    など多くのことに有効です。(図2) 333の解説の図を借用すること

5)内唱
  声には出さないで、頭の中でメロディーを思い浮かべて歌うことです。サイレント・シンギングともいい  ます。ハンガリーの音楽教育の方法の中で重要なものです。頭の中で実際に音が鳴っているように、音を  聴くことができるようにするために、合図によって、声を出したり、内唱したりする練習も行います。



  ハンガリーの子どもたちは、学校の音楽の授業やソルフェージュの授業では、これらの方法で歌ったり、  書いたりしておりますので、日本では、ピアノ教育は、多くの場合、固定ド唱法で行われていますが、で  きれば「ミュージック・バック」のソルフェージュ教材のリズムや歌、また、「ピアノとの出あい」の歌  の課題のリズムや歌を、リズム唱、階名唱、音名唱で歌っていただきたいと思います。原著では、一般的  な調号が書いてありませんので、調号からドの位置を探すことができませんので、開始音のところに階名  を文字符で書いておきました。
   なお、翻訳に当たって、原著を完訳するとともに、音楽教育の違いから、日本人の先生方や子どもたち  にはわかりにくいと思われるところには、補足を加えました。また、同じ理由で、原著では、ソルフェー  ジュの教材に階名唱でうたう指示がありませんが、筆者の判断で加えました。本文は、子どもにも読める  ように、平仮名で記すようにしました。新たに作曲された、クルターグの作品のタイトルは、ハンガリー  語、ドイツ語などのことばあそびのようになっていて、そのニュアンスは、日本語には移せないものであ  ることを付け加えます。
   筆者は、1987年来、テーケ・マリアンヌ女史とクルターグ・ジェルジュ氏に親しく学ぶ機会を得まし  た。日本語出版を快諾され、様々な助言をいただいたことに、深く感謝申し上げます。また、本書の出版  にご尽力くださった全音楽譜出版社の山口清三氏にお礼申し上げます。わらべうたの日本語訳など羽仁協  子氏にお力添えいただきました。先生方が本書を創造的に活用なさり、21世紀に向かって、日本の子ども  たちにピアノを弾く喜びと、豊かな音楽の世界を拓いてくださることを願っております。