「朝鮮半島からのメッセージ〜プンムルの響きにのせて〜」
 ―朝鮮半島の打楽器アンサンブル、プンムルの授業からー   
                       
                        降矢美彌子(宮城教育大学)
アジアの音楽<朝鮮半島の音楽>の授業を行うのにあたって

平成14年度から完全実施になった学習指導要領では、中学1年生の鑑賞において、アジアの音楽が必修扱いとなった。しかし、明治の学校教育の始まりから、アジアの文化より、西洋文化の受容を中心的な教科内容とした音楽教育が行って来たために、お隣りの朝鮮半島の音楽や文化について殆ど何も知っていないのが現状だった。また、戦前には日本が朝鮮半島を統治し、特に第二次世界大戦中には不幸な歴史があって、戦後の両国の文化交流には大きな困難があった。
実は、朝鮮半島と日本は、古くから深いつながりがあった。米作は朝鮮半島を通して日本に伝わったし、以来多くの人々が渡来人として日本に住み着き我が国の文化を豊かにしてきた。朝鮮半島の音楽は、非常に魅力的だ。朝鮮半島の音楽を特徴づける、揺れるように弾む3分割リズムはは日本には無いものだ。これは3拍子と言うよりは、むしろ1拍が3分割になった様々な拍子とでも言え得よう。パンソリに代表される激情的とも感じられる強力な歌唱表現には、義太夫などの日本の語りものとはまた異なった激しさが感じられる。1987年に来日した韓国のサムルノリという打楽器グループの、帽子の先についた長い紐を頭で回しながら、激しいリズムをしなやかに打ちならす演奏に、日本の若者は血肉をわかし魅了された。
このような中にあって2002年サッカー・ワールド・カップ日本韓国共同開催は、両国の新たな交流の扉を開けるものとして画期的なものであったと言えよう。歴史的には朝鮮半島を通して、中国やシルクロードの文化を受容してきたから、雅楽の様式には共通点が多いし、箏と伽邪琴にも共通点が見られる。歌い回しなどには共通点も多く、日本の演歌は韓国でも流行し、韓国のポップスは日本でもヒットチャートをにぎわしたりする。これを契機に、音楽教育においても、朝鮮半島の音楽を積極的に授業に取り入れ、お隣の国の音楽を楽しむ子どもたちを育てたいと思う。

1.研究授業「朝鮮半島からのメッセージ〜プンムルの響きにのせて〜」
時期を得て、2002年10月25日、仙台市青年文化センターで行われた東北音楽教育研究大会において、仙台市立南中山中学校の水池純子教諭によって、「朝鮮半島からのメッセージ〜プンムルの響きにのせて〜」が行われた。中学2年生を対象にした選択音楽の民族音楽の授業提案である。当初希望者が60名近く集まったとことであったが、最終的には生徒数は25名に限ら、残りの生徒は第2希望の教科にまわった。選択した生徒達は、1年生のときに1度だけ、アルミ缶で作った代用楽器のトガトンでフィリピンの音楽を体験している。
水池教諭は、音楽大学の声楽の専攻だが、長唄や歌舞伎を愛し、これまでにも歌舞伎などの意欲的な授業を行ってきている。
「プンムル」という用語は、私たちにはなじみがない。プンムルとは、朝鮮半島の民族楽器チャンゴ、ケンガリ、プク、チンという4つの打楽器を用いたアンサンブルで、村々でその呼び名も違うが、お祭りやちょっとした行事、人々の楽しい集いのあとで行われる。音楽の形態は異なるが沖縄のカチャーシーに例えられようか。私たちが血肉わき上がらせた「サムルノリ」のルーツである。
「サムルノリ」は語源を「四物ノリ」、つまり4つの楽器の楽しみという様な意味で、今ではジャンル名のようになっているが、もともとは1970年代頃から活躍を始めた旅芸人集団の最後の世代で、キム・ドクスをリーダーとするグループ名である。プンムルは、立って踊るように演奏されるが、サムルノリは、村々のプンムルを集大成し的な技法を加えて音楽的に高め、アンジュンバンという座って演奏する様式も生み出した。
25名の生徒達は東北朝鮮初中高級学校から借りた朝鮮の民族衣装をまとって、会場の仙台市青年文化センターのステージで、力一杯このプンムル・アンジュンバンを打ちならし、参会者達の心を打ったのであった。(授業写真1)
「学習指導要領」に、アジアの音楽や日本の楽器の扱いが示されたものの、中学校では大きな戸惑いがある。音楽の教諭は音楽大学や教員養成大学などで、もっぱら西洋音楽の実技と理論を学習してきている。従って教師自身に、これらの音楽のなじみがない。また備品としても、日本の伝統楽器やアジアの楽器などの民族楽器はほとんど無い。
水池教諭は、「朝鮮半島からのメッセージ〜プンムルの響きにのせて〜」を行うのにあたって、これらの問題をどのようにクリアして行ったのか。彼女の授業には、日本の中学校でアジアの音楽など民族音楽の授業を行うための様々な示唆を含んでいる。次にプンムルという日本ではまだ余りなじみの無い朝鮮半島の打楽器アンサンブルの特徴を簡単に明らかにした後、幾つかのポイントに絞って、この意欲的な研究授業を報告したい。

2.朝鮮半島の打楽器アンサンブル、プンムル
プンムルは、チャンゴ、ケンガリ、プク、チンという朝鮮半島の4つの民族打楽器で演奏する。ケンガリのリーダーをサンセと言う。ケンガリのリーダーをサンセと言う。サンセが同時に全体のリーダーも務め、サンセの合図で、チャンダンと呼ばれる幾つものリズム・フレーズを何種類も組み合わせて、それぞれのリズム・パターンのアンサンブルを楽しむ。プンムルは、もともとは立って奏され、人々は上げた両腕をゆっくりと左右に動かしながら、足を踏んでゆれるように、流れるように踊られる。リズムの形をカラクと言う。カラクは、で伝えられる。は日本で言うところのである。1チャンダン分のカラクを便宜的に西洋の楽譜で示す(楽譜)。水池教諭が授業で行ったウッタリ・プンムルは、西洋の楽譜に示したチルチェ・チャンダン、ユクチェ・チャンダン、フィモリ・チャンダンの3つを中心に作られ、次第に速度を上げて演奏される。水池教諭はこれをアンジュバン(座った形の演奏スタイル)で行った。

3.水池教諭はどのようにして、朝鮮半島の音楽プンムルを学んだのか?
 水池教諭が、朝鮮の打楽器のアンサンブル、プンムルに初めて触れたのは、2001年の6月、東京で行われたコンサート「ワールド・ドラム」の時だった。水池教諭はその時、命の響きにふれたというショックとも言うべき感動を受けた。すぐに勉強したいと、仙台にある東北朝鮮初中高級学校を訪ね、ここでプンムルの基礎を学んだ。ここには民族器楽部や民族舞踊部があって、生徒達は民族の誇りであるプンムルなどの音楽を生き生きと演奏し、踊っている。水池教諭は更に東京で行われる韓国から招いて行われるパン・スンファン氏のワークショップに通うようになる。水池教諭は、東京ばかりでなく大阪にまで熱心に通って、プンムルを学んだ。公開研究授業のためにというよりは、朝鮮半島の音楽から受けた深い感動とそれによって突き動かされた情熱が彼女の学びの原点だった。

 4.水池教諭はどのようにして、研究授業のプンムルに必要な25人分の朝鮮の打楽器を揃えたのか?
 当然のことながら、南中山中学校には朝鮮の楽器は1つも無かった。彼女は本物の楽器を全ての生徒の手にとあらゆる努力を始めた。まず、勤務校の校長がその情熱に動かされて、4台のチャンゴ、それぞれ1台のそれぞれケンガリ、プク、チンを購入してくれた。自分の勉強にもなるからと、自身でもチャンゴを始めケンガリなどの楽器を購入する。それでも足りない。彼女は仙台市中学校教育研究会音楽部会の<世界の諸民族の音楽部会>の仲間に、相談を持ちかける。「韓国から直接輸入するととっても安く購入できるの。一緒に輸入して、研究授業まで貸して欲しいの。プンムルはとっても楽しいので、研究授業が終わったら、皆で合奏しましょうね。」
 仲間達は、楽器の足りない苦労は身に沁みているから理解が早い。こうして数人の仲間がカンパではなく、楽器共同輸入に加わった。一人の仲間は、「マイレージが溜まっているから、使ってちょうだい。1度その地を踏んでみることは大切だと思うわ。」水池教諭はこのようにして、仲間の厚い友情に支えられて韓国にも出かけ、研究授業には25人の生徒全員が本物の楽器を手にして、プンムルを演奏したのであった。アジアの楽器は安い。備品ではなく消耗品として揃える事もできるのである。授業はチャンゴ14台,ケンガリ5個,プク3個、チン3個で行われた。
 このことは、民族音楽、或いは日本の音楽などにおける楽器不足というよりは、本物の楽器がない場合の1つの解決方法を示唆している。教師の情熱は、あらゆる困難を解決するのである。

5.民族音楽の授業には、本物の楽器が必要なのか?
 水池教諭は時間をかけて1つの題材に深い取り組みをさせたいと願い、生徒全員に本物のプンムルの楽器を揃えた。
しかし、ここに1つ問題がある。生徒全員に本物の楽器を持たす必要があるのかどうか、また、代用楽器ではいけないのかという問題である。
 これは教師一人一人の音楽教育の理念と1つ1つの授業の目的に関わっており、これが唯一絶対という答えはない。
 私は、実は1970年代初頭から13年間小学校で教えた経験がある。小学校では、おはやし、筝、三味線、或いは、ケチャ、ブルガリアン・ヴォイス、アフリカの教会音楽、チェンバロ、ポップスなど実に様々な日本の音楽や世界の音楽の授業を行った。また、現在も教員養成において、ガムラン、朝鮮半島の音楽、日本の民俗音楽などの多文化音楽教育を行っている。
これらの体験を踏まえた私自身の結論はこうだ。楽器の音色には、民族の全てが凝縮されている。だから絶対に本物の楽器が必要だということである。例えたった1つであっても本物は必要だ。子ども達は、本物の楽器に触れて初めて、その音楽の最も大切なエッセンスとでもいうべきものに遭遇する。しかし、ただ楽器に触れればいいというわけにはいかない、その遭遇の仕方、出会い方が大切なのだ。どのように出会わせるかというところに、教師の音楽家としての理念や知識、そして技術や教授法が関わる。水池教諭は、熱い情熱をもってプンムルの研鑽をし、生徒達のために楽器を揃えた。だから爽やかな自信をもって、本物の楽器を使って生徒達に美しい音や動きを示すことができたのだ。
では、楽器が1つもなく、代用楽器でしか授業ができない場合はどうしたらよいのだろうか。どうしても代用楽器しかないが授業を行うという場合には、教師がその音楽や本物の楽器の特質や本質そして文化背景を充分に認識していることがことのほか重用だ。代用楽器だからこそ、その楽器の本質を教えると言うことがどうしても大切だ。そこに教師の力量が問われる。そして、授業後に何らかのかたちでチャンスを作って、本物の楽器や本物の音楽に触れさせるということがどうしても大切だと私は思う。
一方例え、本物の楽器があっても、教師がその楽器の特質や本質や文化背景を知らずに、安直に生徒たちに楽器を触れさせるとすれば、代用楽器を使って本質を教えることのほうがずっと意味があるということも言える。国際化の時代において、本物の楽器を何らかの形でそろえることは、水池教諭の例のように教師の熱意と努力次第で必ず可能なのだ。民族音楽というテーマを掲げた場合にやってはいけないことは、文化背景や音楽観が全く異なる楽器同士を安易に混ぜて使うと言うことだと思う。

6.水池教諭の授業目的と方法
水池教諭は、このプンムルを取り上げた理由について、教えるための<音楽>ではなく、生活の中にある音楽、生活そのものである音楽の体験を通して、生徒たちに生きる力を育みたいと語っている。庶民の生活の中から生まれたプンムルを通して,自然への感謝や生きる喜びや悲しみを分かち、コミュニテイとして音楽することを体験させたいと願った。これが彼女の授業の目的であった。
彼女は、授業にあたって、以下の3つのことを大切にした。
1つは、できるだけ朝鮮の音楽の伝統的な教え方を生かして指導を行うということ。水池教諭は西洋の楽譜は一切使わず、生徒達は、という日本の伝統音楽で言うところのを唱えてプンムルを学んだ。このを使って、西洋の楽譜に表すと5ページ分にもなるフィモリチャンダンを生徒は1回の授業で覚えてしまったと言う。は、「トントンクンダクン」というように唱える。教師が、できるだけその音楽が伝えられ学ばれる伝統的な伝承方法を尊重して指導を行うということは、非常に重要なことだ。民族の伝承方法には、それでなければ伝えられない貴重がニュアンスやエッセンスが含まれているからである。
2つは、指揮者のいない25人の生徒による高度な打楽器アンサンブルを実現するために、呼吸、息を合わせるということを大切にしたこと。水池教諭は、アンサンブルにとって最も根本的な呼吸を大切にすることを通して、生徒達に、人間同士のコミュニケイションとは何かということを感じ取らせることを最も大切にした。音楽を通して、人間のコミュニケイションの基本を体験することは貴重な体験だ。
3つは、できるだけ本物のモデル、実像を生徒たちに示すということ。水池教諭は、授業の中では、導入段階、基礎段階、技術獲得段階、最終段階などあらゆる場面でで、村で行われている生活の中のプンムルやステージ上で演奏されるプロの演奏家による洗練されたプンムルやその発展をビデオによって示した。
音楽教育の導入段階で、最終的なねらいを含んだ実像が示されることは、非常に重要である。何をどのように目指すのかという目的を生徒と教師が共有することによって初めて生徒達にも授業へのモチヴェイションが生まれる。
また、水池教諭は、授業のどの場面においても、まずは自らが叩き、踊り、それらの技術を分解し、解きほぐし、生徒とともに試し、生徒達がその実態をつかんだと思われたその時、映像ではあるが、実像を示し、確認させ、更に高い段階の本物を目指して、生徒とともに深めていく。水池教諭は、非常な努力をして、生活の中に生きる村々で行われているプンムルや個人の家で行われる楽しみとしてのプンムルの映像を収集した。そして、自らの演奏に終わることなく、それらの実像を惜しみなく生徒達に提示したのであった。
平成10年の学習指導要領では、表現と鑑賞が統一的に扱われるようにということが示された。ということは、これまで表現と鑑賞の活動が切り離されて扱われていた場合が多かったということを意味する。
水池教諭によって行われた「朝鮮半島からのメッセージ〜プンムルの響きにのせて〜」の授業は、備品の無い学校現場の中で、どのようにして備品を揃え、教師が情熱をもって自らがその音楽を深く学び、その上で民族の伝承の方法を尊重し、手から手へと生徒達に音楽を手渡し、なおかつ収集した貴重な映像を大切しながら、本物へと近づかせ理解を深めてさせていくという点で、アジアの音楽による民族音楽の授業の1つの典型であったと言えよう。特に、表現と鑑賞をどのように統一的に扱って、生徒達の音楽活動の自発的な質を高めていくのかという点で、1つの典型を示したと考える。

7.研究授業のその以後
 授業は会場の都合で、音楽会用のステージを教室に見立てるという条件の悪さの中で行われたが、授業後、生徒達からは、口々に楽しかったあ!という満足感いっぱいの笑顔が溢れた。この授業の3週間後、水池教諭が初めてプンムルを学び、その後も交流を続けた東北朝鮮初中高級学校と南中山中学校の生徒との音楽交流が行われた。それまでに南中山中学校では、総合の時間を使って、朝鮮半島の歴史や文化を学んできた。
1時間目には東北朝鮮初中高級学校の生徒達の民族舞踊や民族器楽曲と、南中山中学校の生徒達のウッタリ・プンムルと地域の北中山観音太鼓の演奏交流を行い、2時間目には、朝鮮学校の生徒たちによる朝鮮の食べ物、衣装なども含めた文化の体験コーナーで、南中山中学校の生徒達は、楽しい異文化体験をした。
この交流会を終えて生徒の1人は、以下のような感想文を書いた。「朝鮮学校との交流は、もう1回できませんか?お願いします。それがダメなら,朝鮮学校の人たちとチャンゴを一緒に演奏したいです。機会を作ってください。」
音楽の授業がこのような人間と人間との国際交流へと発展していくことこそ、「学習指導要領」に示された<アジアの音楽を取り扱う>ことの中身ではないかと思うのである