諸民族の音楽の鑑賞と教材選択


(1) 学習指導要領における鑑賞の取り扱いと指導のポイントについて

歴史的に見てみると、諸民族の音楽については、昭和26年の『中学校高等学校学習指導要領音楽科編(試案)』中学校第3学年の鑑賞の項目に、「わが国および外国の民謡ならびに民族音楽を鑑賞する。」また、理解の項目に「民謡や民族音楽と、社会生活との関係を理解する。」1と記述されており、戦後の我が国の音楽教育では、一貫して今日とほぼ同じ視点で、諸民族の音楽を取り扱うことが示されてきたことがわかる。
 しかし、現実には鑑賞の授業で民族音楽を取り上げられることは少なかった。その理由は、教員養成において、民族音楽が充分には取り上げられて来なかったことから、民族音楽を教えることができる教師が少なかったこと、また、中学校の楽器の備品に民族楽器の購入が認められていなかったことなどによると考えられる。国際化の時代を迎えた今日、この現状を踏まえて、平成10年度に告示された『学習指導要領中学校音楽科』の鑑賞には、以下の事項を指導することが示されている。
 第1学年:「我が国の音楽及び世界の諸民族の音楽における楽器の音色や奏法と歌唱表現の特徴から音楽の多様性を感じ取って聴くこと。」「音楽をその背景となる文化・歴史とかかわらせて聴くこと。」
第2学年及び第3学年:「音楽をその背景となる文化・歴史とかかわらせて、総合的に理解して聴く
こと」「鑑賞教材は、我が国及び世界の古典から現代までの作品、郷土の伝統音楽及び世界の諸民
族の音楽を取り扱う。」2
また、表現には、「曲種に応じた発声により、美しい言葉の表現を工夫して歌うこと。」と示され、指導計画の作成と内容の取り扱いにおいて、表現と鑑賞などにおいて、相互の関連を図ることが示された。
 これらの内容は、今日的な視点による鑑賞の授業にあり方についての重要な提起と言える。以下にまとめる。
i. 楽器の音色や奏法と歌唱表現の特徴から音楽の多様性を感じ取って聴く。
ii. 西洋の頭声的な発声以外の様々な唱法による歌にも関心をもつ。
iii. 音楽をその背景となる文化・歴史とかかわらせて、総合的に理解して聴く。
iv. 表現と鑑賞の活動に、相互の関連を図る。
さらに、筆者は、多くの実践研究を踏まえて上記の4点に加えて、以下の2点を、今日の鑑賞の授業
に求められる視点として付け加えたい。
v. でき得る限りオリジナルな楽器を使用すること(歌声についてもできるだけオリジナルな唱法を
用いること)と、
vi. オリジナルな伝承の方法を尊重すること。
何故ならば、それぞれの楽器や歌の音色には民族の音楽観のエッセンスが現れていて、音楽の多様性を感じ取って聴くという課題に応えるためにも、これは不可欠の条件であるからである。オリジナルな考え方や伝承の方法を尊重して指導するということも、同じ理由による。音楽の伝承の方法は、ペーパーを用いるものと、口承によるもの2つに分けられるが、伝承の方法には、それぞれの民族の音楽観が象徴されているのである。
これまでの鑑賞の授業は、機器による受動的な活動として行われることが多かった。生徒にとって馴
染みの少ない音楽は、生徒自身の主体的な表現活動を手がかりにしてこそ、理解や共感をもった鑑賞が成立することが先行研究によって明らかになっている。諸民族の音楽は、儀式や劇などともに存在していて、音楽が単独に存在していることは少ない。その意味でも、音楽を単独に切り離して扱うのではなく、その背景となる文化・歴史とかかわらせ、さらに他の民族の音楽とも関連づけて扱い、世界の諸民族の音楽のそれぞれの関連や相違を深く理解する形で扱いたい。また、教室には未だ民族楽器がそれほど備えられていない現状から言えば、本質を生かした手作り楽器の使用も有効だ。
2章に上記6点の視点を踏まえて、表現活動の体験を手がかりとした、生徒の心に深い理解や共感を育むことを意図した、世界の諸民族の音楽の鑑賞教材の選択例を示す。

(2)世界の諸民族の音楽の鑑賞教材例

ア)第1学年アジア地域の音楽
平成10年度改定の中学校学習指導要領では、1年生においては、世界の諸民族の音楽の中でも主としてアジアの音楽を取り上げることが示された。歴史的に言えば、日本は弥生時代の米作を始め、朝鮮半島から実に多くの文化を学んできた。近年には、朝鮮半島や中国や台湾などアジア諸国に対して、占領地としてきた歴史を持っているが、当時は日本化政策をとったため、それらの国々を含めたアジア諸国の文化から学ぶことはなかった。第2次大戦後は、それらの国々との国交回復に時間がかかり、今、ようやく新たな文化交流が始まったところである。したがって、日本ではアジアの文化の知識は、ほとんどないのが現状である。
このような歴史的な事情を踏まえて、アジアの一員である日本は、多くの共通性をもつアジアの文化を学校教育において本格的に取り上げると言うことには、非常に今日的な重要な課題なのである。この認識に立って、どのような教材を取り上げ、どのように学習を進めるのかを述べたい。

@朝鮮半島の音楽
 朝鮮半島にも様々な楽器や声による音楽がある。稲作の伝来を始めとして、古くから朝鮮半島と日本は様々な行き来があり、朝鮮半島を通して大陸の文化を学んできた歴史がある。従って、ちょっと歴史を紐解くと、朝鮮半島の文化は、広く日本に根付いていることがわかる。朝鮮半島の音楽と日本の音楽には、共通点も多いが、相違点もある。一番大きな違いは、朝鮮半島特有の弾む3分割のリズムであろう。拍の中が3分割されている様々な拍子である。日本の音楽は、津軽三味線など
仙台市立南中山中学校におけるプンムルの授業       のごく一部の例外を除き、裏間表間という感覚をもつ2拍子を基本とする。
中学生の教材としてまず考えられるのは、雅楽などの芸術音楽よりも農民の中に生きて来たプンムル
という打楽器アンサンブルであろう。プンムルには、朝鮮半島の人々の命の息吹が溢れている。プンムルは、ケンガリ、チャンゴ、プク、チンという4つの楽器による打楽器アンサンブルで、祭りや日常の楽しい集いなどに打たれ、人々はプンムルの音楽に合わせ歌い踊る。プンムルは、く うん口音で伝えられる。く うん口音はリズムだけでなく、奏法やニュアンスまでも含んでいて、日本ではしょうが唱歌ということができる。生徒は、日本の中に無い弾む3分割のリズムに驚くとともに、日本と共通する理念によるく うん口音に興味を覚えるであろう。
プンムルの勢いのある打楽器アンサンブルに乗って、踊りは、腕を上に上げゆらゆらとゆれようにス
テップを踏む。プンムルの踊りは、日本の阿波踊りにもつながる動きをもっている。このようなこと
を実感的に捉えるために、学びのあらゆる段階において、朝鮮半島の村祭りで行われるプンムルや、朝鮮半島の各地で様々なプンムルを身につけ、村々でプンムルの芸を披露して歩いた芸能集団なむさだん男寺党の演奏やムーダン(巫堂)と呼ばれる巫女によって執り行われるクッと呼ばれる巫俗儀式などのビデオも鑑賞させたい。
朝鮮半島には、今日もシャーマニズムが綿々と受け継がれている。シャーマニズムは、日本にも沖縄などを中心として生きている。朝鮮半島の打楽器アンサンブル、プンムルやその踊りを体験した生徒は、アジアの中にある日本の民俗について、その共通点と独自性を学ぶことであろう。また、朝鮮半島の人々の心の歌であるアリランをその唱法を真似させて歌わせたい。この様な活動を経て鑑賞するドラマチックな歌唱表現をもつパンソリに生徒は心を奪われることだろう。かやぐむ伽耶琴と日本の筝の比較などもきっと生徒の興味をひくに違いない。

A フィリピンの竹の楽器
 フィリピンはスペイン統治や近年のアメリカの影響によって、中心部には伝統的な音楽はほとんど姿を消していて、伝統的な楽器や舞踊は西洋的なものと混合している。しかし、多くの島々などに、少数民族による変化に富んだ独自の文化が伝承されている。南部はインドネシアなどにつながるこぶ付ゴングを主体とするゴング・チャイムの文化圏で、1方、北部はたいら平ゴングを所有していて、インドシナ半島の山地民族や中国などの音楽と関連をもつ。ルソン島北部の山地民族カリンガ族(Kalinga)はトガトン(Togatong)、バリンビン(割れ竹:Balingning)、クリビット(竹筒琴:Kulibit)、トンガリ(鼻笛:Tongali)、オンナ(口琴:Onnat)などの竹の楽器を持ち、儀式の場では中国起源とされる平
アルミ缶による手作りトガトン  ゴングを奏す。
 日本も多くの竹の楽器をもつ。アジア地域全体に、多くの竹の楽器がある。フィリピンの竹の楽器を扱うことによって、日本やフィリピン、そして他のアジア諸国の音楽と関連づけて鑑賞の授業を行うことができる。
トガトンなどによるリズム・アンサンブルは、その仕組みが単純であって、なおかつ意味が深く、音響が興味深い点で、中学校におけるアジアの音楽の学習に適している。
 フィリピンの竹と日本の竹は気候風土が異なるので、節間の長さや肉の厚さが異なっているが、日本の竹でも代用楽器を比較的簡単に作ることができるので、我が国でも、カリンガ族のトガトンやバリンビンなどの楽器が、多く取り扱われている。トガトンは竹以外にも、ビールやジュースなどのアルミ缶をつなげて代用楽器を作ることができる。アルミ缶によるトガトンは、1つ1つの缶  宮城教育大学附属中学校における手作りトガトンによる授業
の長さが決まっているので、工作によって音程を変えることが難しいが、作りやすく生徒の工作に適している。アルミ缶によるトガトンは、非常によく鳴り、缶をたくさんつなげて低音のトガトンを作ることができるので、面白い音響を作ることができ、アジアの楽器による授業の導入に適している。
日本の竹によるトガトンは、空洞が大きくてよく鳴るものを探すと、チューニングができるので、オリジナルな音響でトガトンのアンサンブルを行うことができる点で、より本格的な音楽の体験ができる。カリンガ族は、琉球音階(厳密ではないが、およそドミファソシド)に近い音階にチューニングする。
 カリンガ族は、彼らの打楽器を6本で1組とする。一番長いものを年とった男性、次が年とった女性、以下順々に既婚男女、未婚男女という風に3世代で奏すると考え、年とった男性の合図でアンサンブルを始める。
 非常に単純なリズム譜、例えば、l l l l l をオステイナートのように年とった男性から1拍遅れのカノンのように叩いていく。ここに、カリンガ族の社会構成や社会のコミュニケイションに対する考え方を見ることができる。興味深いのは、重心の移動を伴う拍子感がないということである。西洋の拍子感に慣れていると、このリズム・カノンは意外に難しい。音楽の基礎は聴くということだが、6人によるこのリズム・カノンを実現するためには、非常によく隣の人のリズムを聴くことが必要だ。絶えず、隣や全体のリズムに気を配り、よく聴くことによって初めて、トガトンやバリンビンなどの竹の楽器によるリズム・アンサンブルを成立させることができる。核家族化や孤食が進み、コミュニケイション能力が極端に落ちてしまった日本の中学生にとって、この課題は一見容易そうで難しく、多く学ぶことができる。生徒は、フィリピンの竹の打楽器アンサンブルを体験することによって、社会とは何かという根本的な命題に思いを馳せ、人間と人間とのコミュニケイションの本質を学ぶことができるのだ。
このような体験の後に、ビデオなどの機器によってカリンガ族のアンサンブルのみならず、ゴングなどによるフィリピン音楽の映像の鑑賞へと発展させて、フィリピンの多様な音楽の鑑賞を行うことができる。フィリピンの口琴は、音を出すのが最も簡単な口琴の1つである。フィリピンの口琴からインドネシアのバリ島やベトナムの口琴、或いは北海道のアイヌのムックリなどにも発展させることができ、アジアの音楽の関連と相違点による興味深い文化学習が成立する。また、女性への求愛や死者の霊に語りかけるという鼻笛トンガリの鑑賞は、生徒にとってはまさに異文化との遭遇となろう。

Bインドネシア、バリ島のケチャやガムラン
日本では、観光地としてインドネシアのバリ島を愛好する人が多く、バリ島を訪れる観光客の第1
位は日本人である。学校教育におけるのアジアの音楽の実践は、最初はバリ島のケチャ(Kecak)であった。芸能山城組がバリ島以外では世界で最初にケチャの上演に成功したのは、エルビス・プレスリーの宇宙中継の実現した1973年のことだった。日本の小学校では、その年にすでにケチャの実践が行われた。
バリ島では、多くの人々がバリ・ヒンドウー教を深く信仰している。だからガムラン(Gamelan)もケチ
ャも、それ以外の音楽・芸能もヒンドウー教の神に奉納され、神と共に演ずるものなのである。信仰が日常生活からほとんど消えてしまった日本にあって、生徒が音楽や芸能が神に直結する捧げものだということを理解することは難しい。しかし、日本の民俗芸能も実は神への捧げものだし、この点を理解してこそ、実はヨーロッパやイスラムの文化への理解の扉も開かれる。
バリの音楽を学ぶ上で重要なことは、ものごとを男女、或いは生死などと考える人々の2元論の考え
方である。ガムランの鍵盤楽器は、半音よりほんの少し音程をずらして調律されるポロスとサンシと呼ばれる2台の楽器で1組をなす。同時にこの2台の楽器が鳴ることによって生ずるオヨヨヨヨ〜というようなバイブレイション、うなりは、ガムランの最も大きな音響的な特色である。
また、ケチャやガムランなどのバリ島の音楽は、1つのメロディーやリズムを2つに分けて奏すコテ
カン(Kotekan)と呼ばれる<入れ子>、すなわち<インターロッキング>の考え方で成り立っている。このようにバリ島の音楽の特性は、同質を好み他の人と異なることを嫌う日本人の体質とは根本から異なっている。バリ島の音楽から生徒が学ぶ最も重要な点は異文化のもつこの2つの考え方であろう。
さて、バリ島のケチャやガムランは、高度なリズム・アンサンブルであるが、アンサンブルの形態として指揮者を持たない。音楽の中に、様々なしかけやリーダー的な役割を持つ人を配しながら、根本は他者を認識し合いながら多人数による高度で複雑なアンサンブルを成立させるこのやり方は、アジア一帯に広がる特色でもある。
明治以来西洋文化を中心的に吸収にしてきたから、今日の日本の社会では、多くの人が西洋の1元論的な考え方や指揮者という統率者をもつアンサンブルの形しか体験していない。その意味でバリ島のケチャやガムランは生徒にとって大きな異文化体験となる。ケチャやガムランやこの点で優れた教材性を持っている。しかもケチャもガムランも本物に近いところまで到達するには、非常に高度な技術の練磨が必要とされるが、一方で、誰でもが専門的な知識や技術をもつことなしに、楽
宮城教育大学附属中学校におけるガムランの授業      器に触れたその瞬間から、この2つの本質的な特徴やうなりをもつ音響的な特徴に浸ることができる。この意味で諸民族の音楽を学ぶ導入として、優れた教材と言えよう。だから授業は、ワークショップ型の1回体験でも、継続的により高い芸術性までを追求することが可能である。
ガムランは、日本では、近年になって観光ブームの中で開発された青銅製の華やかなガムラン・ゴン・クビャ―ル(Gamelan Gong Kebyar)がよく知られているが、青銅製のほかに竹や鉄製の非常に多くの種類がある。日本以外ではより簡便な4枚鍵盤のアンクルン(Angklung)が普及している国もある。生徒には、このガムランの方が適していると考えられる。
バリのガムランを教える際大切なのは、代用楽器として音響として全く異なる西洋の鉄琴のような楽
器を用いたり、西洋の5線譜を用いて教えてはならないと言うことである。ガムランに用いられる青銅製の鍵盤楽器は、西洋の鉄琴に比較して、持続時間が非常に長い。この持続時間の非常に長い鍵盤の1つ1つを、音を出した直後に左手でしっかりと止めるという複雑な作業をしながら演奏するガムランは、アジアの音楽の異文化体験として非常に有効である。
一方、ゴン・クビャールのペロッグ音階は、音階と言う概念に本質的な違いはあるものの、沖縄の琉
球音階との相似性があり、黒潮によって運ばれてきたアジアの音楽のルーツを感じ取ることができる。 
この他にも、アジア地域は,タイの7音分割音階や繊細な古典舞踊、インドのシタール(Sitar)のビーンビーンというさわりと日本の三味線のさわり、歌舞伎と京劇とオペラ、馬頭琴とチェロの比較など魅力的な鑑賞教材の宝庫である。

イ)アジア地域以外の諸民族の音楽
世界には、実に多様な音楽が楽しまれている。アフリカ、ヨーロッパ、南北アメリカから以下の4つの音楽を選んでみた。
@アフリカの音楽
アフリカの大地は広い。アフリカは、人類の文化発祥の地である。かつてはその豊富な大地に多彩
で豊かな文化が花開いた。今日、アフリカは民族紛争や飢餓、HIVなどによって深く病んでいる。しかしなお、アフリカにはポリ・リズムやポリフォニーによる多彩な魅力的な歌や太鼓、そしてサンザ(Sanza)、ムビラ(Mbira)などと呼ばれる親指ピアノやひょうたんを共鳴胴にしたハープ類、そしてマリンバ(Marimba)類など豊富な楽器などが奏でられている。
アフリカの音楽は、アメリカのジャズ(Jazz)やゴスペル(Gospel)、ロック(Rock)などの音楽のルーツでもある。生徒達は、日ごろ慣れ親しんでいる音楽との近似性を敏感に嗅ぎ取って、とりこになるに違いない。
 セネガルのジェンベ(Djembe )による打楽器アンサンブルは、近年日本でも盛んに取り入れられるようになった。ジェンベはその深い独特な音色が素晴らしい。最近では、このような楽器の輸入店も増え、購入もそれほど困難ではなくなった。決まったリズム・パターンの合奏の合間に各自が即興的なソロを叩くこの様式は、アフリカの音楽に特徴的なコール・アンド・リスポンスの形式である。音楽の様式の中で、即興を体験することは、素晴らしい異文化体験である。
 また、アパルトヘイト政策によって白人支配の長かった南アフリカの合唱は、混声合唱という西洋の様式の中に,踊りやアフリカ独特の叫び声が取り入れられていて、日本の中学生のアフリカ音楽の学習の導入に適している。これらは、5線譜を使うことなく、アフリカの人々の太い力強い声の出し方を真似ながら、耳から口へ、心へという学習スタイルをとることが重用だ。

Aブルガリアン・ヴォイス
1960年代から、日本でもフィリッピップ・クーテフ国立ブルガリア女声合唱の民謡発声を生かした
合唱が紹介され始めた。これはブルガリアン・ヴォイスなどと呼ばれ、これまでの頭声発声の合唱とは全く異なる響きに人々は衝撃を覚えた。日本ではハトの会コーラスが、山城祥ニの指揮によって、1968年その演奏に成功した。これが西洋の頭声発声による合唱をレパートリーにしてきた日本の合唱界の、曲種に応じた多様な発声による新しい合唱への夜明けである。ブルガリアにはこのような民謡発声による合唱団が、複数存在しているし、ロシアやラトヴィアなどにも民謡発声による合唱団が存在していた。今日ではフィンランド、カナダ、アメリカ、日本でも曲種に応じた発声による諸民族の合唱が歌われている。
ブルガリアン・ヴォイスはヴィブラートを伴わずに歌われるので、純正調によるハーモニーの響き
の美しさは例え様も無い。ブルガリアン・ヴォイスは、楽譜が出版されているが、なるべく耳からその声と声の背後にあるブルガリアの女性達の豊かで逞しい生き方を捉えようと務め、ブルガリアの女声合唱のように、腕を組み合って、指揮者なしで、息を合わせてアンサンブルできるようにしたい。
民謡発声といっても、基本となるのは、純正調の正しい音程感である。アルトの響きの中にある倍
音を良く聞いて、純正調の長三和音を作れるようにするなど合唱の基本が無ければ、ブルガリアン・ヴォイスは歌うことはできない。また、ブルガリアの音楽は、5拍子や11拍子など、日本人には馴染みの無い拍子が多くある。また8拍子といっても、4+4ではなく、3+2+3、或いは、2+3+3などに分かれた8拍子が多く、ブルガリアのリズムの学習は日本人にとってはまさに異文化である。リズムの学習は身体を動かして、踊るということが一番近道である。
また、ブルガリア語の発音を教えてくれるブルガリア人を探す努力も重要である。民族音楽の学習では、言語はとっても大切だ。ブルガリアン・ヴォイスによるこのような学習は、これまで教科書で扱われて来たリートやオペラといった歌の世界以外に、ヨーロッパ音楽にも多様な歌の世界があるということを教えてくれるだろう。そしてそれは自国の民謡の再発見にもつながっていく。

Bゴスペル・ソング
 日本では近年、ゴスペラーズというグループがヒット・チャートを賑わし、また、テレビ番組のコーナーから話題になった<ハモネプ>が若者の間に一気に浸透して、ア・カペラ合唱、ゴスペル・ソング・ブームが起きた。日本とアメリカのゴスペル・ソングの違いは、歴史的に虐げられてきたアフリカ系アメリカ人の神への心の底からの祈りや叫びが日本のゴスペルには欠けていることであろう。ゴスペルは、もともとはバプデイスト教会の礼拝の音楽である。また、アフリカ系アメリカ人の公民権運動の際もフォークソングと共に人々の戦いを励ました。ここそが、ゴスペルの魂である。
ゴスペル・ソングにとってもう1つ重要なのがオフ・ビートによる8ビートのリズムである。これはアフリカの人々独特の歩き方をルーツにした重いリズム感で、日本人にとっては、苦手なリズム感だ。
ゴスペル・ソングの歌詞の英語は、非常に単純明瞭、中学校から本格的に勉強を始めた中学生にも聞き取れ、発音できるものも多い。ゴスペル・ソングは、5線譜を用いずに教えられている。指導者は、完全に覚えて手から手へ、口から耳や心へとそのソウルと共に届けて欲しい。
ゴスペル・ソングを通して、曲種に応じた発声や重いエイド・ビート、そして強く深い神への祈りや叫びという異文化を学ぶことができる。ゴスペル・ソングから発して、カトリック、プロテスタント、ロシア正教などキリスト教の聖歌の多様性を学ぶことも可能だし、20世紀に生まれたアメリカを代表する音楽、ジャズの理解へと発展させることもできる。

Cボリビアのフォルクローレ
<コンドルは飛んで行く>は、アメリカのフォーク・グループ、サイモン&ガーファンクル(Simon & Garfunkel)よって歌われ一躍有名になったが、もともとは、ダニエル・アロミーアス・ロプレス(1871-1942)によって作曲されたオペレッタの1部である。フォルクローレのメロディーは、日本の5音階にも共通する調べで、人々の心に深く染み込む。フォルクローレを概念規定することは難しいが、ボリビアを中心とするアンデスの高地民族によって奏されている民俗音楽と言うことができよう。
フォルクローレは、メロディーをケーナ(Quena)やシーク(Siku)、スペイン語でいうとサンポーニャ(Sampona)と呼ばれるパン・パイプが奏し、ギターやアルマジロの甲羅でできたチャランゴ(charango)がハーモニーとリズムを、深い音の大太鼓ボンボ(Bombo)がリズムを伴奏する。今日ではアルマジロの甲羅を用いたチャランゴは少なくなった。興味深いのはシークは、もともと2人1組で、1音ずつ代わるがわるに1つのメロディーを吹いたことである。今日では、この2組のシークを1人の奏者がもって吹くことも多いが、中学生が2人1組でシークを吹くと、音楽による非常に楽しいコミュニケイションを体験することができる。ケーナは、同じ竹の縦笛の尺八と異なって、簡単に音を出すことができ、ちょうどギターが好きになる年頃の中学生に適した教材である。
南米では、ブラジルのサンバなども中学生に相応しい教材である。

(3)指導法のまとめ
 鑑賞においては、世界の諸民族の音楽における楽器の音色や奏法と歌唱表現の特徴から、音楽の多様
性を感じ取って聴かせること、また、音楽をその背景となる文化・歴史とかかわらせて、総合的に理解し
て聴かせることが求められている。生徒達がじっと椅子にすわらされ、受動的に機器によって音楽を鑑
賞させられるのではなく、表現活動との関連を図って、生徒に、喜びのある主体的な表現活動を行わせ、
それを手がかりにしてより深い鑑賞の活動を成立させたい。もちろん生の演奏を聴かせる事が一番良い
ことは言うまでもない。
 そのためには、でき得る限りオリジナルな楽器を用意し、その音楽で用いられている伝承の方法を尊
重し、生徒達にオリジナルな伝承者から直接に学ぶチャンスを作りたい。大切なことは、まず教師が、
初心に返って教材にしようとする民族音楽を、熱意を持って学ぶと言うことだ。そして、自らが理解で
きないうちに、安易に教えようという姿勢は戒めたい。その音楽の本質をしっかり捉えるということが、
鑑賞の基本だ。教育機器を用いる際も、まずは、自ら生徒達にその音楽を手渡せるまでには学習したい。
教師の姿勢として重要なことは、諸民族の文化はそれぞれ相違点と共通点や関連性があるが、基本的
には異なっていて、それらを1つの考え方や1つの物差しではかることができないと言うことを深く踏まえるということである。具体的に言えば、明治以来、教科内容の中心を占めてきた西洋音楽の考え方や物差しで、その他の民族の音楽文化を考えてはいけないということである。西洋音楽以外の音楽を、西洋記譜法の5線譜に置き換えて学ぶならば、その音楽も民族の心も理解することができないのである。
音色には、諸民族の音楽文化に対する心が集約されている。だから、でき得る限り、本物の楽器、
本物の歌い手の声から直接に学ぶことが大切だ。楽器の無い場合、楽器を手作りすることは、その楽器の原理を知り、楽器への愛着を増すという点で、鑑賞への大きな足がかりになる。民族楽器の多くは、手作りだから、案外簡単に作れるのである。国際化の今日、ちょっと努力すれば、楽器を手に入れることも(借用も含めて)、その音楽の伝承者から直接に学ぶことも、それほど困難なことではなくなった。
21世紀に入り、地球上では各地に紛争が起こり、戦争やテロの危機が増している。音楽教育を通して、諸民族の音楽文化や歴史を学び、民族の心を理解することができれば、音楽教育は地球の平和に大きく貢献することができよう。