ルーマニア・ルゴシュ、テメシュヴァール
Romania, Lugos, Temesvár

クルターグの生誕地、少年時代を過ごした街 訪問(2009.10.13-10.20)
Kurtág's birthplace and the town where he spent his boyhood


 

 念願がかなって、クルターグが高校時代をすごした町、ルーマニア西部の都市のティミショアラ(ハンガリー語名 テメシュヴァール)やバルトークの生誕地スンニコラウ(ハンガリー語名 ナジセント・ミクローシュ)、クルターグの生誕地ルゴジ(ルゴシュ)に行ってきました。クルターグの出身高校の創立100周年の祝典と、バナト・ティミショアラ・フィルハモニカの演奏会で若い日の作品ヴィオラ・コンチェルオが演奏されることと、西ティミショアラ大学から名誉博士号の授与式があり、クルターグご夫妻がティミショアラを訪問されたのです。
ルゴシュ中等学校
Lugos junior high school

コンサート
Concert
 クルターグご夫妻は10月16日に出身高等学校のカソリック教会でピアノ・ソロとデュエットのコンサートをなさいました。翌17日にはフィルハーモニーで若い時代に作曲したヴィオラ・コンチェルトが演奏されました。私は初めて聴きましたが、ヴィオラのコンチェルトは少ないのでよく演奏されるそうです。演奏はバナト・ティミショアラ・フィルハモニカ、指揮 ヴィオラは日本人の赤坂智子さんでした。この作品の最後の終止線を引いた4時間後に、一人息子さんで作曲家のクルターグ・ジェルジュ・Jr.が産まれたとマールタ夫人がおっしゃっていました。55年前の作品です。
リハーサルで初めて聴いたときにはクルターグの曲とは信じられない気持ちがしたのはそのためでした。美しい作品です。CDも出ています。ご夫妻は、赤坂さんの演奏を大層気に入っておられました。11月31日にジュネーヴで再演があります。

 クルターグは、ルーマニアのルゴジ(ハンガリー語名 ルゴシュ)に1926年2月19日に生まれました。そして、昨年(2008年)3月にルゴシュの名誉市民になりました。ルゴシュは美しい町でした。クルターグが3歳まで過ごした生家と中等学校を終えるまで過ごした家が残っています。クルターグはこの中等学校のルーマニア語の先生、フェリチアン・ブレンゼウ先生をとても尊敬しています。最新作の「コリンダ・バラード」は、ブレンゼウ先生の思い出に捧げられています。中等学校の前を流れるティミシュ川では、たくさんの人が釣り糸をたれていました。

ルゴシュ中等学校前の川
The river in font of Lugos junior high school

クルターグの生家
The house where Kurtág was born

少年時代の家
(クルターグの部屋の前で)

The house he lived in his boyhood

クルターグの部屋
Kurtág's room

少年時代の家の庭
The garden of the house he lived in his boyhood
 ティミショアラでは、あまり多くの方は英語を話されません。でも、道で迷ったりするとルーマニア人はとても親切で、携帯でタクシーを呼んでくださって、運転手さんに道を教えたりして助けてくださいました。ルゴシュのクルターグの少年時代を過ごしたお家では、その後大分改装されたそうですが、奥様とお嬢様が、クルターグが少年時代を過ごした部屋を始め、全てを案内してくださり、その暖かさに心打たれました。その後、お嬢様が車で追いかけてきてくださって、ルーマニアの陶器やワインやお庭のお花をくださったのには本当に驚きました。それはクルターグに対する思いでもありましたでしょう。

 クルターグ家のお墓のあるユダヤ人墓地にも行きました。クルターグの少年時代の友人などが集ってくださいました。ユダヤ式の追悼の儀式が行なわれました。ルゴシュからたくさんのユダヤ人がイスラエル建国のためイスラエルに渡ったそうです。 

少年時代の友人たちが集まって
Kurtág's friends

クルターグ家の墓石
Tombstone
 ティミショアラは、ルーマニアの自由民主化の革命が発端となった街です。1989年12月16日にこのティメショアラから、人権活動家のハンガリー人牧師テケーシュ・ラースローさんの国外退去処分に対するハンガリー人の抗議デモが発端となったのです。記念館や教会、人々が祈った自由広場を案内していただきました。クルターグは、この教会で6ヶ月オルガンを弾いていたそうです。