クルターグ・ジェルジュ パリ・オペラ座ガルニエ宮 演奏会 
   ―パリ 秋の音楽フェスティヴァル―


 2010年10月2日20時、パリのオペラ座ガルニエ宮で、ハンガリーの作曲家クルターグ・ジェルジュの演奏会が「パリ 秋の音楽フェスティヴァル」の一環として行なわれた。オペラ座は、満員であった。プログラムは、一部、クルターグとクルターグ・マールタ夫妻のピアノ・リサイタル、休憩を挟んで、二部、「コリンダ・バラード(Colindă-Baladă)」Op.46(テノールと2重合唱と楽器群のための)と「アンナ・アフマートヴァの詩による四つの歌」Op.41(ソプラノと楽器群のための)のパリ初演。クルターグの歌曲や合唱には、ラテン語、ハンガリー語、ロシア語、ルーマニア語、ドイツ語など様々な言語が用いられるため、その意味でも演奏に多くの困難がある。この演奏会でも、第二部の合唱と歌曲には、ルーマニア語とロシア語が用いられていた。


パリ・オペラ座ガルニエ宮
 クルターグ夫妻のピアノ・リサイタルは、アップライト・ピアノで行なわれた。パリのオペラ座ガルニエ宮は、天井には、シャガールの絵が全面にほどこされた豪華絢爛な大劇場(Music scene 写真参照のこと)。そのステージに小さなアップライト・ピアノが一台置かれ、後ろ向きに慎ましく座ってピアノを奏するクルターグ夫妻の情景は、恐らくこの劇場初めてのことでもあったであろう。プログラムは、「遊びーピアノのために」全8巻(EMB出版社)からと、ピアノ連弾のための編曲集(「マショーからバッハまで(EMB 1990)」「バッハの7曲のコラール―連弾のための(EMB 2010)」から選ばれた。
「遊び―ピアノのために」は、「子どもがピアノを始めるその最初の瞬間から、全鍵盤の上を自由に動き回れたら」という発想から1975年から作曲が始められ、1巻から4巻は1979年に出版された。クルターグは、現在も友人達へ手紙を書くようにこのピアノ小品集「遊び」の作曲を続けている。第8巻は、今年出版された。
 クルターグとマールタのソロ、そして連弾で構成されるコンサートは、過去数十年にわたってヨーロッパ、アメリカの各地で深い感動を生んできた。CDも多くリリースされているので日本でも夫妻の演奏を聴くことができる(WWE2CD 31870, ECM 1619,BMC CD129, BMC CD123, BMC CD139など)。クルターグは、来年2月85歳を迎える。夫妻は、今年結婚64年。手をつないで現れたクルターグ夫妻を、パリの聴衆は熱く迎えた。第1曲目は、連弾で、バルトークの「ミクロコスモス」1巻「5度低いカノン」の編曲。最後は、常のようにバッハの「神の時は最良の時」の連弾。アンコールは何度も繰り返され、バッハの作品の編曲集からのいくつもの連弾が奏された。二人の演奏は、「演奏」という概念や時空を超え、濃密なまさに最良の時がオペラ劇場に流れた。
クルターグ夫妻

グローザとクルターグ
 第二部の最初「コリンダ・バラード(Colindă-Baladă)」Op.46は、バルトークが収集したルーマニアのクリスマス・キャロルによっており、2006-2008年に作曲され、2009年3月ルーマニアのクルジで初演された。演奏は、合唱:トランシルヴァニア国立フィルハーモニー合唱団(ルーマニア)、指揮:コーネル・グローザ(ルーマニア)が初演のメンバー、テノール:オヴィディウ・ダニエル(ルーマニア)、楽器群:アンサンブル・ムジークファブリック(ドイツ)。楽器群は、ビオラ1、チェロ1、クラリネット1、バス・クラリネット1、トランペット1、トロンボーン1、打楽器群(4枚の横板で作った打楽器など多数)

 

プログラムより転載 
「コリンダ・バラード」
自筆楽譜の開始部分
 コリンダとは、ルーマニアのクリスマス・キャロルを指す。クルターグは、バルトーク・ベーラが、現ルーマニア領パウチネシュティ村(フネドアラ地域)で1913年12月26日にペトルツ・ダブチェアンから採譜したキャロルにインスピレーションを得て作曲した。作品は、生まれ故郷のルゴシュ(現ルーマニア領)の高校のルーマニア語の教師フェリチィアン・ブリンゼウに献呈されている。
 
 クルターグは、晩年になって、現ルーマニア領である故郷のルゴシュ(現ルーマニア名、ルゴジ)に回帰した。2001年の夏、ハンガリーで1週間にわたって生誕75周年祭が行われた。このフェスティヴァルのゲストとして招聘されたルーマニアの二人の音楽家フランチシュ・ラースローとマテイ・ポップに出会って、生まれ故郷への回帰という思いが沸き上がったという。ルゴシュのピアノ教師のコンスタンティン・トゥファン・スタンは、記録を調べてクルターグの作品が、故郷と絶えることなく繋がっていることを明らかにした。スタンは、クルターグについての著書を著している(Constantin-Tufan Stan;György Kurtág)。ちなみにクルターグが敬愛するバルトークや生涯の親友であったリゲティも現ルーマニア領の出身である。

 「コリンダ・バラード」の歌詞は、ルーマニア語で、「巨大な太陽は、結婚相手を探して世界へと旅立った。」(Plecat-o, plecatu puternicu soare, ca el să să’nsoare)と始まり、太陽と月という兄妹の愛、近親相姦をテーマに扱っている。歌詞の大意は、「18頭の馬を従えて愛する人を探しに旅に出た太陽は、妻になる人を見つけることができず、彼の妹、アナ・サンツィアナを見つけた。太陽は妹である月との結婚を決意する。結婚式をあげるために太陽は妹を腕に抱き、虹の橋を進んでいく。愛する妹を抱いたため、太陽は一層熱く燃え、結婚式を執り行うべく司祭は溶けてしまった。神は太陽を捕えて、空に置いた。月が昇るとき、太陽は沈む。」クルターグは、インタビューの中で、兄妹の情愛という部分にワークナーを引用したと語っている。

 クルターグがこのキャロルを用いて作曲に取り組んだのは、初めてのことではない。妻であり協働者である(クルターグの言葉によれば、第二の自我である)マールタ夫人のとの結婚60周年を祝って書かれた「2つのヴァイオリンのための三部作」Op.45にもこのキャロルが現れる。

 クルターグは、「コリンダ・バラード」について「僕が始めから終わりまで物語を関係づけようとしたのは、人生において初めてのことであり、異なった断片を一緒に並べようとしなかったのも、初めてだ」と語っている。作品全体は、フネドアラの村のキャロルの壮大な物語を追っていて、作品の始めに聴かれるキャロルの音楽的素材は、後半にも現れ、形式の有機的要素となっている。
 
 
 コンサートのプログラムの最後は、「アンナ・アフマートヴァの4つの詩による歌」Op.41(1997-2008)のパリ初演。初演は、2009年1月に行なわれたカーネギー・ホールにおけるクルターグの作品展。この作品が11年かけて作曲されていることにも、自己探究を終えることの無いクルターグの特徴が現れている。4曲のタイトルはロシアの作家・詩人の名前や地名である。歌詞はロシア語で、クルターグは、他にも重要な作品にロシア語の歌詞を使っている。
   1.プーシキン
   2.アレクサンドル・ブロークに
   3.泣き唄(アレクサンドル・ブロークの埋葬に)
   4.ヴォロネエージュ(オシップ・マンデルシュタームへ)

 ソプラノは、初演時と同じくソプラノ;ナタリア・ザゴリンスカヤ(ロシア)、 指揮:オルヴィエ・キュエンデ(スイス) 楽器群:ムジークファブリック(ドイツ)。楽器は、フルート1、オーボエ1、クラリネット2、ホルン2、トランペット2、トロンボーン2、ハンガリーの民族楽器ツィンバロン1、ハープ1、チェレスタ17、ヴァイオリン1、コントラバス1、アップライト・ピアノ1に、空襲のサイレンの音がする音具や銅鑼や大太鼓などの打楽器群。プーシキン、アレクサンドル・セルゲエヴィチ

プログラムより転載 
「アンナ・アフマートヴァの
詩による四つの歌」
自筆楽譜の開始部分

プログラムより転載 表紙
 アンナ・アフマートヴァ(1889ー1966)は、ロシアの詩人の20世紀前半から中期を代表するロシアの詩人で、初期の叙情的な短詩から後期のソヴィエト政権下で圧制に喘ぐすべての人を代弁した普遍的な作品まで幅広く、スターリンによる粛清の犠牲者に奉げられ、長く封印された連作長詩『レクイエム』がある。4つの歌曲のタイトルは、それぞれ、ロシアの詩人や地名である。1のプーシキン(1799-1837)は、独自のロシア語と芸術形式によって、ロシア文学を真に国民的な文学に高めたロシア文学の父、そしてロシア国民詩人。
 ブロークはロシア象徴主義を代表する詩人で、革命の大義の前に知識人たる自らが滅び去るであろうことを叙事詩の中に示した。オシップ・マンデリシュターム(1891-1938)も重要なロシアの詩人で、スターリン批判を行って逮捕され、獄中で狂死した。4曲目のヴォロネエージュというロシアの地名は、日本人にとって広島・長崎が誰にでも特別な意味を持つように、ハンガリー人にとって、第二次世界大戦の末期にドイツ兵の前線に立って、多くのハンガリー兵が惨死した場所として特別な意味をもつ地名。アフマートヴァは、もちろんそれを書いているのではないが、クルターグの音楽は、それを暗示するかのように4曲目の開始に、悲惨で強圧的な空襲警報が激しく唸る。この演奏会の最後のアンコールは、この空襲警報から始まる4曲目であった。
 4曲全体は、ナタリア・ザゴリンスカヤに献呈されているが、各曲もそれぞれクルターグがロシア文学を学ぶために助力した人々へ献呈されている。ナタリアは、自然で感情過多になることのない抑制表現された中に、深く強いメッセージを見事に歌い切る素晴らしい歌い手である。


 第二部の2曲の器楽アンサンブルのリハーサルは、3時間ずつ合計6回、ケルンで行なわれ、その後パリのもう1つのオペラ劇場、バスティーユのオペラ劇場で2日間のリハーサルが行なわれた。

「四つの歌」のザゴリンスカヤとオリヴィエ
 藝大を卒業し、ケルンで活躍しつつある日本人奏者の渡邊理恵さんが、ヴィブラフォンや曲の重要な転換の契機となる2枚の長い板を衝撃的に打ち付けるなどの打楽器を担当していた。演奏後の筆者のインタビューに、どこまでもその音色と表現の微妙なバランスを執拗に説き続けるクルターグの指導への驚きと感銘を語った。当日も第二部のリハーサルを行なって、クルターグ夫妻は、20時からの始まる自身のピアノ・リサイタルに臨んだ。
 
 クルターグは、ベケットをテキストにして、ついに長年構想していたオペラの作曲に取り掛かった。その完成が待たれる。クルターグは、パリ・オペラ座ガルニエ宮 演奏会の翌日、ドイツ大使館で、ドイツ連邦共和国功労勲章を受章した。(勲章は、クルターグにとても似合わない感じがした)

 クルターグの作品は、時代の方向を象徴するかのように重い意味をもつ。それはクルターグが、現在はルーマニア領であるユダヤ系のハンガリー人として育ったこと(ハンガリー政府は、第二次大戦中ドイツと同盟を結び、国内にはユダヤ人収容所があった)、言論統制下のソヴィエトの支配のハンガリーで、 1956年のソヴィエトに対する革命蜂起の際も、ハンガリーから亡命することなく作曲活動を続けたことにも関わっているかもしれない。時代と作曲家は切り離すことができない。

 クルターグの作品の特徴を述べるのは簡単ではないが、例えば7音の単音でできているピアノ曲「花、人…」のように類ないシンプルさと「...クワジ・ウナ・ファンタジア...」の2曲目のような究極のコンフュージョンのように対極にある表現が一つのものとして共存していること、 「沈黙」の重要性(クルターグは「沈黙」は、魂が決めると言う)、極限まで削ぎ落とされた少ない音と独特の音色感、非常にメッセージ性が強いこと(クルターグ自身は、インタビューの中でメッセージを伝えようと思ったことはないと語っている)にあると考える。

 クルターグは、来日していないため、残念なことに日本ではほとんど知られていない。俳句のような側面ももつクルターグの音楽は、本来的には日本人に最も愛される音楽だと思う。日本で、現代音楽がなかなか愛好されていないことは、同時代に生きるものとしてあまりにももったいない。クルターグの作品が、日本でも多く演奏される日が待たれる。なお、3回のインタビューとクルターグ自身の執筆したリゲティへの献辞と弔辞からなるヴァルガ・アンドュラーシュ・バーリント著『クルターグ―3つのインタビューとリゲティへのオマージュ(英語タイトル)』(Bálint András Varga  György Kurtág Three Interviews and Ligeti Homages)が、2009年にハンガリー、米国、フランス、ドイツで出版された。クルターグの情報の少ない日本にあって、翻訳が待たれる。

 ハンガリー語の姓名の表記は、日本語と同じ姓名の順であるので、ハンガリー人の人名はそれに従った。ルーマニア語、ロシア語については、なるべく原語に近いカタカナ表記とした。      
 (平井洋氏のMusic sceneへの投稿文に若干の修正を加えた)