豊かな新しい歌の世界を手に入れるために
      宮城教育大学 降矢美彌子
はじめに
本稿は、平成10年度改訂の学習指導要領の<表現>の内容として示された「自然で無理のない声」「曲種に応じた発声」による歌を実現するための具体的な方法を明らかにすることを意図している。では、日本人にとって「自然で無理のない声」「曲種に応じた発声」はどのような内容を表すのだろうか。声の出し方については、これまでは「頭声的な発声」と示されていたから、新たに「自然で無理のない声」と表記されたことには、発声は「頭声的な発声」だけとは限らない、あるいは、これまでの「頭声的な発声」の指導には自然ではなく無理な側面もあった、あるいは、「頭声的な発声」だけの指導に陥らないようにしていく必要があるなどという内容を意味すると考えられる。
また、「曲種に応じた発声」という指示には、これまでは、曲種が変わっても、発声は曲種に対応せず同一の方法であった、あるいは、全ての歌を自然ではなく無理もあった「頭声的な発声」で指導していたので、これからは、表現教材の「我が国及び世界の古典から現代までの作品、郷土の民謡など我が国及び世界の民謡」を指導する際、自然で無理のない、それぞれの歌にあった発声で歌うように指導して欲しいということなどを意味していると考えられよう。
では、この内容を実践するために、教師は何をしなくてはならないだろうか。それは、まず、初心に返って世界の様々な歌を本気で聴くこと、そしてそれらが実に多様な発声と発音で歌われていることを深く知ることであろう。その範囲は、古典から現代音楽までだし、芸術音楽から民俗音楽、大衆音楽までを含む。その次に、多くの民俗音楽や大衆音楽が歌われている歌い方、自然な胸声発声を身につけるということになろう。そして、扱おうと思う歌唱教材がどのような発声で歌われるべきなのかを正しく認識できる知識や実際にその声を出すことの出来る技術を獲得しなくてはならないだろう。
しかし、音楽科の授業を担当する教諭は、音楽大学や教員養成大学で「声楽」を学んできている。専門教育の声楽は、西洋のベルカント発声という単一の発声で指導されている。学生はそれ以外の発声の存在を知らないし、また、たとえ知ったとしても西洋のベルカント発声以外の発声は喉を壊すものと禁止される。歌にはそれぞれの曲種にあった発声があるという学習は行われていないのである。 だから、そのような教育を
受けてきた音楽の教諭が、「学習指導要領」に示された「自然で無理のない声」「曲種に応じた発声」という内容を真剣に受け止め、それを実現するために、これまで学んだことも体験したこともない、つまり頭声発声ではない発声を身に付けたり、様々な歌について曲種に応じた発声を認識し、その声を出すことができるようにするということは、小手先ではすまされない、これまでの発声に関する固定概念をやぶるべき根本的な変革を要求するとてつもなく大変な課題なのである。まずこのことを認識しようではないか。しかし、とてつもなく大変な課題というのは本当は誤りである。これらの歌の数々は、音楽学校に行ったり、声楽のレッスンに通ったり、困難な発声訓練に歳月をかけたりするなどということなく、いとも自然に無理なく歌われ、多くの人々がそれらを楽しんでいるのだから、本当はちっとも大変なことではないのである。この相反する2側面を認識したい。
1. 先行的な実践
「学習指導要領」が改訂されるずっと昔から、「自然で無理のない声」「曲種に応じた発声」西洋以外の発声、曲種に応じた発声で様々な歌う試みは、学校教育や合唱コンクールとは関連をもたないジャンルの中で、半世紀近く積み重ねられてきた。先駆者たちによるこれらの実践の中身を知ることは、学校教育の歌唱の領域で新しい世界を切り開くべく、21世紀を迎えた私達にとって、具体的な示唆を得る意味でも重要である。しかし、曲種に応じた多様な発声を獲得するための本当の1歩は、実は、発声は頭声発声だけが自然で美しく、喉を壊すことのない正しい発声であるという<頭声発声信仰>からの脱却なのである。人は、信じてきたもの、長年積み重ねてきたものを壊されることに嫌悪がある。だから内部にあるこの信仰を崩すことは難しい。我が国で試みられてきた数十年に渡る以下に述べる先行的実践をしっかり受け止めることは、この意味でこそ意義がある。
1)山城祥二の仕事
西洋合唱の合唱団が西洋発声以外の歌い方で歌う最初の取り組みは、1964年、現山城組の組頭山城祥二が、合唱団「るつぼ」で青森の子守歌「もっこ」を日本民謡の発声によって歌う演奏実験を行ったことに端を発する。その後山城は、音楽学者小泉文夫の協力を得て様々な試みを重ね、1968年8月末、ハトの会コーラスで、フィリップ・クーテフ率いる国立ブルガリア合唱団のレパートリーから2曲、「トドラは夢見る」「陽は沈む」を歌わせることに成功した。西洋合唱団におけるいわゆる<地声発声>合唱の幕開けである。さらに73年にはバリ島のケチャの上演に成功し、これを機に合唱団ハトの会は、西洋式の合唱団から決別して芸能山城組へと組織再編成を行った。以後、台湾の高砂族の合唱やアフリカのピグミーの合唱など多様な唱法による諸民族の合唱へ挑戦を続け、現在は、新たなパフォーマンスを創造する多彩な活動を繰り広げている。山城組の足跡は、歴史的意味をもつ「地の響きー東ヨーロッパを歌う」(VICL23085)、「山城組入門」(VICL23095)他多くのCDによって耳にすることができる。
2)平井澄子の仕事
邦楽と呼ばれる日本伝統音楽の世界では、山城の実践よりも10年もの昔に、当時の邦楽と西洋音楽の両方の心ある音楽家の切実な課題であった「日本式の歌曲」を創造する探求中で、様々な唱法を追求する試みが重ねられた。この貴重な活動は、今日ほとんど知られていない。中でも日本音楽の作曲・演奏家平井澄子による活動は特筆すべきものと言えよう。平井はその活動によって宮城賞や芸術祭賞、モービル音楽賞、文化庁芸術作品賞など数々の賞を受賞している。平井の仕事については、昨年平井の米寿を記念して昭和53年度文化庁芸術祭レコード部門で芸術祭優秀賞を受賞した「平井澄子 うたとかたり」がCD復刻(XL-70144-6)され、また邦楽ジャーナル別冊「平井澄子の知恵袋」(邦楽ジャーナル社)が出版されたので、その一部を知ることができる。
女性で初めて東京音楽学校邦楽科の宝生流能楽を修めた平井は、邦楽の多種目を極め、1954年に「邦楽リサイタルー平井澄子邦楽実験室」第1回発表を行った。以後1963年の第5回リサイタルに至る10年間に、邦楽の多種目からインドのタゴールの歌曲や橋本国彦による日本歌曲、あるいは、自ら作曲した「北原白秋の詩のよる小品集」などの作品や「邦楽発声と技巧のための邦楽発声の試み」を歌うなど、日本人にとって自然で美しい発声や歌い方を追究する非常に質の高い、極めて斬新な活動を行った。彼女の代表作「切支丹道成寺」や連篇歌曲「愛の世界」では、邦楽の発声による合唱を聞くことができる。(COCF-7720)平井は、日本人にとって最も自然な美しい発声とは、赤子の無き声や喜び興じて遊んでいる子どもの声の出し方だと言う。赤子はあのように全身で泣き、子どもはあのように元気いっぱい大きな声を出して遊び興じるけれども決して喉を壊さない、平井はそう言うのである。
3)海外の仕事
海外では、メアリ・ゲッツ(Mary Goetze)率いるインデイアナ大学のインターナショナル・ヴォーカル・アンサンブル(International Vocal Ensemble)や スーザン・ナイト(Susan Knight)率いるカナダのニューファウンドランド・シンフォニー・ユース合唱団(Newfoundland Symphony Youth Choir)が挙げられよう。ゲッツは、異文化は楽譜などのペイパーを用いることなく、その歌のオリジナルな伝承者から直接に耳から耳へ、動きから動きへと学ぶ以外に方法はないとの主張をもっている。彼女は、非常に多くの留学生を抱えるインデイアナ大学の地の利を生かし、アジア、アフリカ、南アメリカ、ヨーロッパの留学生から直接に学ぶ方法で、頭声発声ではない多種多様な歌を「自然で無理のない声」「曲種に応じた発声」で実現している。それらの歌声は、「One World,Many Voices,One Choir,ManySongs/International Vocal Ensemble」(ホームページによる注文)によって聴くことができる。ゲッツは、異文化合唱を学ぶためのCD-ROM(Global Voices in Songs-AnInteractive Multicultural Experience)を開発し、現在アメリカやカナダで多様な「自然で無理のない声」「曲種に応じた発声」による異文化合唱の活発なワークショップを行っている。
ナイトは、子どもたちの自然で自由な自立性を真に尊重する指導法の中で、頭声発声の歌から、胸声によるアジアやヨーロッパの歌の数々を「自然で無理のない声」「曲種に応じた発声」で見事に実現している。それの歌声はCD「Reaching from theRock」 (FMDC 4605-2)などで聴くことができる。
4)伝統芸術研究集会の仕事
1960年代には、日本音楽舞踊会議によって、新しい日本の国民的な音楽や踊りを創造することを夢見るジャンルを超えた専門家が集い、かつて無い規模の学際的な伝統芸術研究研究集会が第6回まで回を重ねた。日本音楽舞踊会議では、その名が示す通り、西洋音楽から日本音楽・大衆音楽に至る評論家、演奏家、作曲家、舞踊家、教育家が多彩な活動を繰り広げたのである。特に1966年に開催された第4回伝統芸術研究集会では、「日本のうたと語り」をテーマにして、以下の講演が行われ、熱い討論が繰り広げられた。
「うたと語りについて」小泉文夫、「歌舞伎舞踊の表現の伝統」花柳徳兵衛、「日本語についての考察と声楽技法についての問題提起」間宮芳生、「新しい日本のうたの2つの形」小島美子、「大衆の心をつかむ」三波春夫、「新内び古典から現代曲へ」岡本文弥、「労音の大衆にふれて」平井澄子。
この集会では、日本語や日本の歌について、学問的な追究がなされた一方、当時の西洋音楽家がほとんど見向きもしなかった歌謡曲の国民的歌手三波春夫のデモンストレイションつきの講演によって、三波がいかに日本語に即したわかりやすい発音ということにに腐心し、美しい日本語を歌っているということに目を見張らされたのである。討論の中で、当時のプロフェッショナルな西洋音楽の歌い手は、ベルカント以外の発声をすることに、根強い恐怖感と抵抗感を持っていて、他の発声へと1歩を踏み出すことは困難であると発言した。この第4回伝統芸術研究集会の記録は、音楽の世界社の「音楽の世界」バック・ナンバー(1967年5-6月号)に掲載されている。
5)福島コダーイ合唱団の仕事
平井や山城から学び、自国の音楽伝統を根っこにすえたコダーイ・ゾルターンによるハンガリーの音楽教育からスタートし、メアリ・ゲッツとも共同研究を行う降矢美彌子に率いられた「福島コダーイ合唱団」は、西洋発声による西洋の伝統的なア・カペラ合唱と日本の伝統音楽や民俗音楽、加えてブルガリア・ヴォイスなどを同一ステージで瞬時に発声を変えて歌い、西洋と東洋の歌の共存による多文化合唱を実現した。それらの歌声はCD「Many Nations-Many Voices―合唱が結ぶ日本とヨーロッパ」(FCK200ホームページによる注文)などで聴くことができる。
これらの「自然で無理のない」「曲種に応じた発声」による歌声を追求した歴史や歌声を、是非、耳から体験していただきたいと思う。
2. 西洋発声がよいか、日本発声がよいかという考え方について
1)<西洋発声は、喉に最も自然で、日本発声は、不自然で喉を壊す>という考え方
<ベルカント発声が、喉にもっとも自然。日本の歌の発声は無理があって喉をこわす。>日本では発声に関して長い間このように信じられてきた。この考えに基づいて、小学校では、子どもたちの歌い方を何とか<西洋の子どもたちのように美しいものにしよう>、頭声発声にしようと、涙ぐましい努力がなされてきた。
一方、音楽愛好家からでさえ、声楽家の歌う日本歌曲や翻訳オペラは、歌詞が聴き取れない、歌の意味が全くわからないという素朴な感想が声弱く語れていた。ましてや普通の人にとって西洋の声楽は、学校音楽教育がこれほど熱心に行われていても<私は音楽は苦手、わからない>という存在であった。日本人の愛好する歌は、以前として歌謡曲・演歌である。歌謡曲や演歌の歌詞は非常によく聴き取れる。自分たちの身近な情感に溢れ、励ましや癒しを与えるのもとして、生活に不可欠のものなのだ。
これまでは相容れないと考えられてきた西洋の頭声発声と、例えば日本の庶民の歌う胸声発声は、互いに相容れないものなのだろうか?
さて、ベルカントの発声で歌うオペラ歌手は本当に喉を壊さないのかだろうか?西洋音楽の声楽家の歌手生命は概して短い。特にオペラのソプラノやテノールの歌手は歌手生命が短い。西洋の声楽家もポリープにもかかり、喉を壊すのである。
一方、日本伝統音楽の声楽の歌い手は、歌手生命が一般に長い。80歳、90歳を越えた現役の歌い手が存在する。新内節の岡本文弥は、100歳を越えて現役として活躍した。新内節は言ってみれば伝統音楽の中のテノールである。
2)どの民族も「自然で無理のない声」「曲種に応じた発声」で自分たちの歌を歌っている
結論は明らかであろう。西洋音楽であれ、日本音楽であれ、無理のある発声の仕方や、歌い手の限界を超えて酷使したら喉は壊れるのである。どちらがいいという問題設定はない。歌は、それが生まれた文化圏に属し、その文化圏の言語と好まれる音色で歌われる。だから、それぞれの歌は本来的にその発声や発音の仕方が決まっている。音色は、リズムやメロデイーと同じようにその歌の最も重要な中身なのだ。勝手に変えてしまっては、その歌にはならない。私達は、音楽を愛するのなら、その歌が本来的に歌われている「自然で無理のない声」「曲種に応じた発声」で歌うべきなのである。
3.「自然で無理のない声」「曲種に応じた発声」による歌を実現するために
1)「美しい」音を獲得する訓練から始めるべきなのだろうか?
私たちは長いこと、標準とされてきたNHKのアナウンサーの声は美しい、その発音は美しいと信じてきた。相対するものとして、方言の発音は汚いと信じ込んできたのだ。本当にそうなのだろうか?まず、この疑問を投げかけたい。アナウンサーの発声は西洋発声で、全国どこでも均一である。その人の生い立ちや個性を取り除き、個人的な感情を表出しない「美しい声」を出すことが基本である。そのように訓練をすると、発声や発音は均一化され、日本人としての「自然で無理のない声」や自分らしい表現は、ふっとんでしまうのである。
西洋音楽の訓練は、アナウンサーと同じようにまず「美しい音」を出すことが最初の取り組みだ。私は幼い頃からピアノを学んできたが、まず、均一な筋力をもつ指を訓練をし、その後それらの指から均一の音を出すということが勉強の基本とされた。毎日1時間、ハノン・ピアノ教則本の1番から39番まで、全部のキーで暗譜して弾く、そのような「よい音」出す訓練なくしてピアノで音楽を演奏することなどできない、私は長いことそれを信じ込んできた。西洋の歌曲を勉強する場合も似通っている。まずは「美しい声」、ベルカント発声が出来なくては何も始まらないと、声楽のレッスンの大半は、発声の訓練に使われる。だから、心を打つ音楽を演奏することではなく、強い指や均一な「美しい音」を出すことが、あるいは正しい発声を身につけることが、勉強の目的になり代わってしまいがちなのである。
2)模倣に始まって、模倣に終わる
発想を転換しようではないか?まず先に「美しい音」、「美しい音」のための「正しい発声」が存在するのではなく、美しい音楽が存在するのである。それらは、「自然で無理のない声」「曲種に応じた発声」で歌われ、奏されているのである。勉強の最初に、まず、その音楽の内容を理解しようではないか?その音楽の内容を本当に理解し、深い共感を持とうではないか?そしてその後に、その内容を表現するために用いられている音色、「自然で無理のない声」「曲種に応じた発声」を、全身を耳にして受け止め、全身で真似してみよう。模倣は、「自然で無理のない声」「曲種に応じた発声」で歌うことを獲得するための第一歩であり、同時に最終ゴールへの道である。そうやって全ての民族はそれぞれの音楽を伝えてきたのだから、それ以外の方法はないのである。模倣の際最も重要なことが、これまで身に付けた発声法からの脱却なのである。
3)失敗の理由ー指導者が本当に理解するということの難しさ
 私が最初に頭声発声以外で、「自然で無理のない声」「曲種に応じた発声」を試みたのは、山城祥二が最初に取り組んだフィリップ・クーテフの指揮する国立ブルガリア合唱団のレパートリーから「トドラは夢見る」だった。1973年、雙葉小学校6年の児童がトドラ娘と呼ばれるほど夢中になって歌った。しかし、それは本物とは似て非なるブルガリアン・ヴォイスだった。次は1982年、「トドラは夢見る」「陽は沈む」の2曲を勤めていた大学の合唱の時間に試みた。学生は夢中になったが、見事に失敗し、実現できなかった。今度こそと1992年に、福島コダーイ合唱団で再び同じ2曲に取り組んだ。山城は、このブルガリアの女声合唱を神秘的な特別の方法で実現をしたと書いていたから緊張した。この時は成功し、客演指揮者として来日していた国立ハンガリー合唱団の常任指揮者、ウグリン・ガーボルが涙を浮かべて感動した。以来、数多くのブルガリアン・ヴォイスをレパートリーとして、多くの演奏を重ねてきている。
何故、何度も挫折し、実現できるまでに20年近くの歳月がかかったのだろうか?ブルガリアン・ヴォイスは、それほど難しいものなのだろうか?私は、山城の元で歌ってもいたから、ブルガリアン・ヴォイスを十分知っているつもりであった。結論として、今言えることは、1992年に至るまで、私には合唱指揮者としての力量が圧倒的に不足していた、そしてまた、合唱曲としてのブルガリアン・ヴォイスの特徴を十分には理解できていなかったということである。それは、単に発声だけの問題ではなかったのである。また、異文化の学習は模倣から始まって、模倣に終わると言うことも本当には理解できていなかったように思う。ブルガリアン・ヴォイスを始めとするいわゆる頭声発声で歌われていない多くの合唱は、決して難しくない。むしろ「自然で無理のない声」で歌われているから、本来はとても容易いのである。
4)まねて、まねて、まねて、まねる
 平井澄子は言う。人間は意識しなくても、悲しいときは自然に悲しい声になるし、怒っているときは怒っている声になると。そしてそのように自然に音色を変え、そのために喉を壊すことはない、人間はそのように自由に自然に音色を変えることができるようにできているのだと。一見乱暴のようだが、もしその歌を本当に理解し、その素晴らしさに深く共感するなら、そして、もしその歌を歌うときに、これまで行ってきた発声法を捨てることに躊躇しなければ、よく聴き、よくまねるという方法で、「自然で無理のない声」「曲種に応じた発声」で必ず歌えるようになるのである。
 これを実証したのが、インデイアナ大学のメアリー・ゲッツである。ゲッツは、1996年の国際音楽教育協会アムステルダム大会における福島コダーイ合唱団の演奏会で、福島県の「じゃんがら念仏踊り」を聴きいた。彼女は、その後ワークショップで演奏の方法を学び、それらをビデオに収録した。ゲッツは、そのビデオから忠実に模倣するという方法だけで、インデイアナ大学のインターナショナル・ヴォーカル・アンサンブルに、「じゃんがら念仏踊り」の発声、日本民謡の発声を完全に身につけさせてしまったのである。それは日本人が聴いても驚くほどの日本の「自然で無理のない声」「曲種に応じた発声」であった。
おわりに
 「自然で無理のない」「曲種に応じた発声」を実践しようと新たな意欲をもって取り組んでおられる先生方に、心からお願いしたいと思う。西洋音楽クラシック音楽、あるいは、その手法で作曲されている曲以外の歌を教えるときには、これまで自信をもって指導してこられた頭声発声を勇気を持っていったん捨てて、未知の発声で歌われている歌を虚心に全身を耳にしてを聴き、その歌の魅力を深く理解していただきたい。そして、どうか子どものように素直にまねしてみていただきたい。初めは、何故にこのようなことをという徒労感や無力感を味わられるかもしれない。けれど、一旦これまで築いてきた頑な何かが崩れると、川が流れるように一気に新しい音楽の世界の扉が開かれ、未知の「自然で無理のない声」「曲種に応じた発声」の歌の世界が果てしなく拡がってくる。それはこれまでとは全く異なった音楽の世界で、西洋音楽と日本音楽、あるいは、諸民族の音楽などという枠組み大きく越えた人間の音楽の世界なのだ。「学習指導要領」の「自然で無理のない」「曲種に応じた発声」という改訂をきっかけにして、先生方ご自身の音楽の世界や生徒たちの世界を豊かに大きく拡げていこうではありませんか。そのことは、音楽の喜びや音楽による幸せの質をこれまでにないほど深めてくれることなのですから。さあ、勇気をもってと心からのエールを送りたい。