ハンガリーの合唱指導法

   私が、ピアノや合唱の指導法の勉強のためにハンガリーに留学したのは、1987年でした。私は、この年、ハンガリーを代表する2つ合唱指団に通い、その1つ「シラージ・エルジェーベト女声合唱団」のメンバーとして、イタリアで行われた国際合唱コンクールにも参加しました。ハンガリーの合唱団に通って、一番驚いたことは、練習回数が少ないこと、練習は、冗談や笑いに溢れた楽しいものであることでし  た。ハンガリーでは、子どもたちも土日や、休暇中などに学校に呼び寄せることができないので、コンクールといっても、特別な練習をすることはないのでした。
   留学の10年前に、初来日したハンガリーの合唱指揮者、ウグリン・ガーボル(Ugrin Gabor:1932-)氏のソルフェージュと合唱のセミナーに参加し、ハンガリーの音楽教育に大きなショックを受けました。それは、これまで受けてきた音楽教育とは根本から異なるものでした。コダーイが、アジア系の民族であるハンガリー人のために考え出した音楽教育は、同じアジアの民であえる日本人にとっても、西洋音楽を本当に理解するこることを可能にする方法だと私は確信したのです。私の通った合唱団は、アマチュアでしたが、譜読みが完璧で、音程を直すと言うことは1度もありませんでした。


 

I.コダーイ・ゾルターンの理念による音楽教育

  ハンガリーは、合唱の国として知られます。皆さんもハンガリーの「カンテムス少年少女合唱団」や「ハンガリー・ラジオ・テレビ少年少女合唱団」などの歌声を聴かれたことがあるでしょう。ハンガリーでは、コダーイ・ゾルターン(Kodaly Zoltan:1882-1967)の理念によって音楽教育が行われています。コダーイの理念とは、一言で言えば、音楽の母語(わらべうたや民謡)から音楽教育始め、歌うことを音楽教育の心に置く教育です。コダーイは、一般教育における読譜教育の重要性を提唱しましたから、読譜教育ーソル フェージュ教育が徹底しています。ハンガリーでは、知識や読譜などの力をつけることは、音楽の喜びを豊かにするためだと考えられています。ハンガリーに行って、私が体験した合唱団の練習は、まさにこのような コダーイの理念の具現であったのです。では、コダーイの理念によるハンガリーの合唱指導とはどういうものでしょうか。

II.ア・アカッペラ合唱指導法
  ハンガリーの合唱は基本的にア・カペッラです。ア・カッペラ合唱は、平均律の楽器、ピアノなどとは異なった純正率で歌われます。ハンガリーのア・カペッラ合唱指導法は、カルドシュ・パール(Kardos Pal:1927ー1978)によって著されたKorusneveles Korushangzas(Zenemukiado Budapest 1966)(日本語版『合唱の育成・合唱の響き』(全音楽譜出版社)に集大成されています。今日ハンガリーの合唱指 導は、基本的にこの方法によっています。本稿では、ア・カッペラ合唱指導の中で最も重要と考えられる、 耳の訓練と発声練習について説明したいと思います。


 


 1.耳の訓練
   ア・カッペラ合唱の基本となるのは、倍音を聴いて純正率を純正のハーモニーを歌ったり、純正調の正しい音程を歌うことのできる聴力です。聴力は、様々な方法で養いますが、まずは、多声を聴くことのできる耳をつくる必要があります。ハンガリーでは、小学校の1年生から多声性の導入を始めます。多声性導入の最も良い方法とされるのが、カノンです。 
   1)カノン
     カノンには、ポリフォニーとホモフォニーの2つのスタイルがあり、その両方のスタイルで練習することが大切です。何故ならば、合唱曲には、この2つのスタイルがあり、或いは、2つのスタイルを組み合わせとして作曲されているからです。ア・カッペラ合唱の聴力を養うポリフォニーの導入教材として有効なものの1つに、コダーイがピアノの初歩の教材として作曲した『24の小さな黒鍵のカノン』(日本語版、全音ピアノ・ピース No.353)があります。この作品集は、5音階で作曲されていて、前半は、文字符で書かれています。文字符は、階名のドレミをアルファベット(d r m s l)で表します。本来は、文字符を見て、歌いながら、1小節遅れのカノンをピアノで弾くために作曲されましたが、ア・カッペラ合唱のための聴力を養うための聴く力を養うために用いる場合は、先生が、1小節先に歌い始め、生徒たちは、楽譜を見ずに、先生の歌を聴いて、模倣し、カノンで歌うという方法をとります。この練習方法は、生徒の聴く力や集中力を非常に高めます。また、ハンガリーでは、小学校の音楽指導に、階名を手の形で表すハンド・サインを用いますが、ハンド・サインをしながら、サイレント・シンギング(内唱、頭の中で階名を歌うこと)をしたり、先生のハンド・サインを見ながら、カノンで歌うことも、聴力を高めるのに大変有効です。コダーイは、移動ドを提唱しましたので、この曲集も移動ドで練習するように作曲されています。文字符の開始音は、子どもの声域に合わせて、例えば、1点ロ音とか、2点ハ音で始めるめるとよいでしょう。
      譜例1『24の小さな黒鍵のカノン』より1番

      譜例2 カノン「鐘の音」

      カノン「鐘の音」を例に取って、機能和声の基本を感じハーモニー感を養いながら、ア・カッペラ合唱に必要な聴力を高める方法を説明しましょう。歌う場合は、階名で歌った方がその後の読譜指導に発展させやすいので良いと思いますが、「ラー」で歌っても結構です。ピアノは、一切用いません。先生は、良い音程で、歌の様式にのとって歌って下さい。ハンド・サインも用いると、主音、属音という階名の機能が視覚的に子どもに伝わるので、より有効です。
      

      (1)先生は、まず、階名で、カノンの第3部「d---d---d-s-d--」を歌います。子どもたちは、聴き覚え、歌います。
      (2)子どもたちは、覚えた第3部を歌いながら、先生の歌う第1部のメロディーを聴き、覚えます。アウフ・タクトなので、先生は、歌いながら、子どもたちの入りを指示しましょう。子どもたちは、この「歌いながら、もう一つの声部を聴き覚える」という課題で、ア・カッペラ合唱で最も必要とされる基本的な聴力を養うと同時に、この歌が、機能和声に支えられていることを感じ取ります。何度か繰り返し、子どもたちが歌い覚えたら、2つのグループに分けて、互いを聴き合いながら合わせて歌います。実はこれで、ア・カペラの2部合唱が出来上がったという訳です!
       (3)この2部合唱といっしょに、先生は、第2部を歌います。今回も、先生は、入りを合図して下さい。子どもたちは、一声を歌いながら、相手のもう一声を聴き、同時に、先生の歌う新しい声部を聴き、覚えるのです。この課題では、子どもたちは、さらに集中します。何度か繰り返して、歌い覚えたら、グループを3つに分けて合わせて歌います。これで三声のア・カッペラの合唱の完成です。もし、先生の音程と歌う際の様式感が正しかったら、この方法で、子どもたちの音程を一切直したりすることなく、完璧な純正調のア・カッペラ合唱ができあがるのです。
  集団だけでなく、先生と一人の子どもが歌うという風に、様々なやり方で試みることによって、個々の聴力を高めることもできます。聴力を高めながら、カノンを覚えましたので、最後は、個人やグループでこの歌を演奏します。終わる回数を決めておかずに、先生の指揮で止めるようにすると、指揮を見る力も養うことが出来ます。
  

    2)自然倍音
      純正調や純正なハーモニーを歌うために、自然倍音を聴くことも大切です。倍音を聴くためには、他の音が聴こえず、よく響く教室で練習する必要があります。倍音を聴くためには、まず、子どもにとってとても大切です。倍音を聴くためには、環境にも気を配らなくてはなりません。他の音が聴こえず、よく響く教室で練習する必要があります。倍音を聴くためには、まず、子どもたちが、真っ直ぐに音を伸ばして歌うことが出来る必要があります。そのためには、合唱技術の基礎である、カンニング・ブレスの練習が必要です。カンニング・ブレスは、隣の人と同じタイミングで息をとってはいけないので、隣の人の声をよく聴くこととなり、聴力の訓練にもなります。声の出し方も大切です。ヴィブラートのつかない、真っ直ぐな声を出すように指導してください。
      

       (1)子どもたちを4つにパート分けします。バランスが大切です。声量にもよりますが、アルトが一番人数が多く、ソプラノ、メゾソプラノと人数を減らします。根音(なるべく低い音がいいのですが、イ音位でも大丈夫です。)を真っ直ぐにしっかり響かせて歌います。皆でしっかり聴きましょう。半分以上の子どもが、オクターブ上の音(一点イ音)が聴こえるまで、聴くことに集中します。なかなか聴こえない場合は、先生が、倍音として響いているオクターブ上の音の存在に気づくよう、時々、小さな声で歌ってあげます。
       (2)半数程度の子どもが、オクターブ上の音(一点イ音)が聴こえたら、ソプラノの子どもは、聴こえた音と完全に同じ音を歌います。バランスを考えて、根音の響きに含まれる音量で歌うよう指導します。
       (3)完全8度が、よいバランスで響くと、完全5度音(一点ホ音)が、しっかりと聴こえます。何時の場合も、初めは、倍音の存在に気づくよう、先生が、時々、小さい声で歌ってあげましょう。
       (4)半数程度の子どもに完全五度の音が聴こえるようになったら、根音、8度上、5度上の音を、聴こえた倍音と同じ純正の音で、バランス良く響かせて歌います。そうすると倍音の中でも一番聴こえにくい長三度の音(嬰ハ音)を聴くことができます。これが聴こえたら、しめたものです。これで純正の長三和音の響きを作り上げることの90%が、達成されたことになります。倍音を聴こえるようになったときの喜びは、大変に大きいものがあります。
   ☆倍音を聴く練習は、決して急がないようにしてください。聴こえなかった子どもも、耳が悪いのではありません。むしろ慣れの問題で、やがて必ず聴こえるようになります。コダーイは、この様な倍音を聴くことから、純正な音程を歌えるようになるための練習曲集『清潔に歌おう』を作曲しました。この練習曲集は、子どもに楽譜を見せることなく、先生のハンド・サインで指導します。
          譜例3 『清潔に歌おう』


  2.発声指導
    ハンガリーでは、発声練習は、合唱指揮者の重要な仕事です。合唱指揮者は、機械的に声を出す訓練をするのではなく、発声練習をとおして、団員のハーモニー感を養い、音楽を様式に則って歌うことを教え、合唱団の音色を創るのです。発声は腹式呼吸で、西洋発声の基本である顔や頭など身体の各部位の共鳴を活かします。ここでは、声の出し方ではなく、「発声練習をとおして、団員のハーモニー感を養い、音楽を様式に則って歌うことを教える」ところに焦点を当てたいと思います。ハンガリーを代表する二人の合唱指揮者の発声練習から、私たちのア・カッペラ合唱指導に有効だと思われる方法をご紹介しましょう。

    1)ハンガリーの合唱指揮の第一人者として知られる、前「ハンガリー国立合唱団」常任指揮者・「ジュネス混声合唱団」の常任指揮者ウグリン氏 は、発声練習を譜例4のように始めます。
       譜例4 発声練習のパターン例

      これは、実はグレゴリオ聖歌の1フレーズですが、このパターンをさらに上声と下声の2声で完全5度の平行で歌わせたり、三声に分けて長三和音の並行で歌わせたりします。5度の平行で歌わせる場合は、音楽史上でいうと平行オルガヌムの様式で、ウグリン氏はは、発声練習を即興的に歴史的なオルガヌムの様式にのとって行っているのです。また、長三和音の平行で歌わせる場合は、いわゆる「バルトークの和音」で、歌わせることとなり、現代音楽の様式に則った練習ということになります。これらのパターンを半音階で上行、下行させるのです。譜例に書かれている→ → ←やスラーの記号は大変重要です。→ ←は、いわゆるクレッシェンド・デイミニュエンドではなく、内的な緊張と弛緩を表します。
 
    2) 世界の数多くの合唱コンクールで優勝した「カンテムス少年少女合唱団」や「プロムジカ女声合唱団」の常任指揮者サボー・デーニシュ氏(Szabo Denes:1947- )は、発声練習の中で音程感やハーモニー感を育てるために、簡単な馴染みある歌やコダーイの『333の読み方練習曲』の小曲を使って、先ほどの完全5度の平行だけでなく、短2度や長2度を含めたあらゆる音程を平行2度で歌うことを試みさせます。また、長三和音、短三和音のみならず、四和音、増三和音や減三和音の平行でも歌わせるのです。
       譜例5 『333の読み方練習曲』(1943年)の1番を使った例 
                        
      これらのパターンを半音階で上行、下行します。
      ハンガリーでは、一般教育の中で音楽の読み書きを学び、このような聴覚の訓練や発声練習を行っているので、子どもたちは、合唱曲の中にどんな音程やハーモニーが含まれていても、何の苦もなく、初見で歌いこなしてしまうのです。
    譜例6 コダーイ作曲『児童と女声のための合唱曲集』よりMez ,Mez, Mez 一部抜粋 1958年)

      例えば、コダーイの「蜜よ、蜜よ、蜜よ」(Mez ,Mez, Mez)という3声の二重合唱を見てみましょう。これまでご説明したような方法で、常日頃、カノンや長三和音の並行を用いて発声練習を行っていれば、準備練習として、この曲の主旋律を覚え、長三和音の平行合唱やカノンを歌う練習を行えば、この作品を初見で直ちに完璧に歌うことが出来きてしまうことがおわかりでしょう。ハンガリーの音楽教育では、子どもたちの誤りを直すのではなく、事前に誤りをおかさないような準備を行うことが求められるのです。
      コダーイは、一般教育の中でソルフェージュを重視しました。それは、子どもたちに短い練習時間で深い音楽の喜びを味わせたいということなのです。今世紀後半のハンガリーでは、コダーイやバルトークを始めとする多くの現代作曲家によって、児童のための優れたア・カペッラ合唱曲が沢山作曲されています。


III.ハンガリー・ア・カッペラ合唱指導のマニュアル
    1998年12月、東芝EMIより合唱名曲コレクション51「ルタの木は高いーハンガリーア・カペラのひびき」(TOCF-56002)が出版されました。このCDには、日本で演奏されることの多い、バルトーク『児童と女声のための合唱曲集』より、「春」、「鳥の歌」、「さようなら」他14 、コダーイ作曲『児童と女声のための合唱曲集』より、「夕べの歌」、「アヴェ・マリア」、「ジプシーがチーズを食べて」、「天使と羊飼い」、「聖霊降臨祭」他12曲、バールドシュ作曲「ルタの木は高い(日本語版、ヘンルーダの花」)他3曲、全29曲が、ウグリン・ガーボル指揮、「福島コダーイ合唱団」の演奏で収録されています。演奏は全曲原語のハンガリー語とラテン語です。
    ウグリン氏は、「福島コダーイ合唱団」の常任指揮者で、1986年より同合唱団の指導と定期演奏会の指揮を行っています。ウグリン氏は、最も正統な解釈を行うことで知られます。「福島コダーイ合唱   団」は、1990年と1994年にハンガリー演奏旅行を行い、絶賛を博しました。本CDは、ハンガリーでも高い評価を得ています。
    自分たちの文化ではない音楽に取り組むときには、本物の演奏を何度も聴くことが大切ですが、このCDはその意味で、ハンガリーのア・カッペラ合唱に取り組むための絶好のマニュアルと言えましょう。また、東芝EMIから出版された『実践合唱名曲大系』には、ハンガリー人によるハンガリー語のアルファベットと母音と子音の発音、そして、「ルタの木は高い」に収録された全作品のハンガリー語による朗読のCDが収録されています。合唱にとって発音は大変に重要です。発音のCDを繰り返し聞き、まねをすることによって、よりよい発音へと近づくことができます。解説書には、全曲の対訳、曲目解説、ハンガリー語の発音のポイント等が掲載されていて、ハンガリーのア・カッペラ合唱に取り組む人々のための何よりのガイドとなっています。(教育音楽 特集より転載)